恵比寿の東京都写真美術館で開催中のチェコ映画祭2005へ。ミシェル・フォルマン監督作品『ブロンドの恋』(1965年/モノクロ/85分)、『消防士の舞踏会』(1967年/カラー/72分)を観た。監督は60年代当時ジャンヌ・モローやフランソワ・トリュフォーとの交流もあり、『ブロンドの恋』はチェコ・ヌーヴェル・ヴァーグの代表作と呼ばれたらしい。ヒロインであるアンドュラのおっとりとしたかわいらしさ、そして彼女が遠路はるばる押しかけていくミルダの両親の飾り気のない態度や喋りっぷりが印象的。『消防士の舞踏会』はコミカルで下世話なドタバタ劇。監督はのちに米国に移住して日本でも公開された『アマデウス』を作るのだが、その片鱗はこの作品の中にすでにかなり大きく現れていると言えそうだ。
それから山手線で鶯谷まで行き、東京藝術大学でおこなわれている2つの展覧会を観た。一つは陳列館でおこなわれている「Rosa!」~あらわになる色。「淡紅色(rose)」(あるいはそれに近い色)が使われた作品を集めた展覧会。会場に入ってすぐの1Fは、部屋の照明が落とされて主に映像を使った作品が集められている。しかし同じ展示室内にこじんまりとした作品がたくさんあって、あまりじっくりと観る気がおこらない。2Fの展示室に上がる階段の壁には小さい写真のプリントがごちゃごちゃと貼られている。こういうのも、いまさら全然新鮮味が感じられない。
2Fの展示室は、パーティションのないだだっ広い部屋に天井からの間接的な自然光が差し込む明るい空間。色で統一している展覧会だから、こんなふうにたくさんの作品が一気に視界に入るような展示スタイルも効果的と言うことができるのかもしれない。ただ、やはりごちゃごちゃとしていてやたら作品点数が多いものだから、1つ1つの作品の印象は薄くならざるをえない。そのような中、笠原恵実子による子宮孔を撮影した作品は、立派に製本されたその制作のドキュメントが読めるようになっていて興味深かった。あと、チェコのDavid Cernyによるピンク一色に塗られたソ連の戦車(どうやら歴史的に街中に存在しているモニュメントかなにかの様子だけれどよくわからない)の写真は興味をそそられた。
もう1つの展覧会は大学美術館でおこなわれている「D/J Brand(ディージェイ ブランド)」~ドイツに学んだアーティストの発火点。このタイトルの "D/J" とはドイツと日本のことを表していて、ドイツで学んだり活動したりしている(またはそのような経験のある)アーティスト、また日本で活躍しているドイツ人アーティストを集めた展覧会である。作風はアーティストによってまちまち。でもこちらの展覧会はパーティションをうまく使っていて、ちゃんとそれぞれの作品に向き合って鑑賞しやすいような展示になっている。展覧会そのもののコンセプトなんてどうでも良いというわけではないのだけれど、個人的にはこういう一つ一つの作品が大事にされている展覧会のほうが好感度が高い。ちゃんと美術館として設計された建物だし、使用している空間も思いっきり広いから、陳列館の「Rosa!」と比べてしまうのもなんだけれども。
「D/J Brand」は作家によるステートメントが貼り出されているのも良かった。それは作品の説明のようなものであったり、単にドイツの思い出のようなものであったり、自身の活動を紹介するものであったり、作家によって書いている内容はさまざまなのだけれども、そういった文章を書く切り口みたいなものも、作品鑑賞の手助けになると思う。作品について言葉で説明したくないというタイプの作家ならば、そういうふうに書けばよいのだから。特にはじめて作品に出会う作家の場合、こういうのがあるのとないのとでは全然観る側の姿勢も違ってくる。
特に印象的だったのは増山裕之の作品。ドイツから日本までの飛行機の窓から2分ごとにインターバル撮影した写真を編集したという、横に細長ーいライトボックスの作品。膨大な量の写真から厳選して、それでも千枚以上使っているというのがすごい。とても美しくて視覚的なインパクトのある作品。同じ展示室にあった田中奈緒子による製図台に投影されたアニメーション作品は非常に丁寧に作られていて、15分ぐらいの映像を思わず2回観てしまうほど惹きつけられた。O JUNの人柄がにじみ出ているような感覚的にぐっとくる作風、そしてステートメントがおもしろい。病室の写真がよく見ると二重露光になっている斎藤美奈子の写真は、内省的で落ち着いた自身の個性に忠実でありながら社会にコミットしていこうとする姿勢が感じられる。また、この展覧会の企画者でもある渡辺好明の蝋燭を使った作品も、パーティションの縁を使った展示方法が効果的で良かった。
3Fの展示室から地下におりるエレベーターホールで、美術ジャーナリストの小倉正史さんに遭遇。お会いするのは水戸芸術館のアーキグラム展の時以来でとても久しぶりだったけれど、展示を観る時間があまり残されていなかったので挨拶だけ。地下の展示室には大掛かりな映像を使った作品が2つ。藤幡正樹のインタラクティヴなメディア作品は地面に投影された映像がダイナミックでおもしろそうだったけれど、その場に居合わせている人どうし譲り合いながらじっくり楽しむ時間がなさそうなので、とりあえず奥の展示室へ。ロベルト・ダロルによる大画面の映像作品は、いろいろな素材がザッピングされたようなめまぐるしい映像。ヘッドホンからの音響も相俟って相当の迫力だった。
ひととおり見終わったところで、この日限りの関連プログラムである映像+ダンスパフォーマンス「1,(アインツコンマ)」の会場へ。上階で映像作品も出展していた田中奈緒子と、モルガン・ナルディが企画、演出。ダンス、動きのマテリアルとして菅田浩憲が出演。この3人を中心に、照明や音響オペレーションが絡む。他の作品も展示されている部屋でおこなわれるのではなく、このパフォーマンスのために大きな展示室をまるごと一室使うという、事前に思っていたよりかなり大掛かりなものらしい。開演時刻が迫っているのでもうたくさんの人だかりができている。展示室のど真ん中に大きなスクリーンが吊り下げられ、部屋がそこで2つに区切られているような状態。客席はそのスクリーンに向かうように、壁の一辺に沿ってつくられている。
そして開演。ダンスの菅田浩憲が一定のリズムに合わせてスクリーン手前のステージ部分を機械的に歩く。そして次は這ってステージを一周。その後は次第にいろいろな動きを見せるようになっていくが、終始ストイックで機械的な動作が中心。感情的な要素は排除され、照明、音響、映像などの変化とダンサーの動きがすべて対等で、きちっと計算されたように作られている。振付けのモルガン・ナルディも時々ステージに登場し、壁に映ったダンサーの影の形をなぞってその部分の壁に貼られた紙を切りとったり、また照明器具を手にしてダンサーの動きを追うなどのパフォーマンスをおこなう。田中奈緒子による映像は文字や景色など。上階で展示していた凝ったアニメーション作品とは全然違う。記憶に残ることを周到に避けるような、匿名性の高い映像とでも言うべきか。
スクリーンの手前だけがステージのように思って観ていたら、ダンサーは突如スクリーンの裏の一番奥のほうの小部屋に入っていってしまう。そこからは緑色の光が漏れている。それがなんなのかよくわからない、という点で印象的。そして何事もなかったようにまた次のシーン。演出がきちっとしているだけに、一つ一つの出来事や要素に意味を見出したくなるのだけれど、具体的(と感じられるよう)なことは何も提示されず、舞台は淡々と進行する。機械的(と感じられるよう)な動きばかりと思っていたら、小さなテーブルと椅子が舞台に用意され、ダンサーはそこで珈琲を飲んだりもする。
最後は中央のスクリーンをくるっと廻して裏返して終了。終始つかみどころのない展開だったけれど、ダンス、映像などの各要素がしっかりと演出、統制されていて、揺るぎない一つの向き先のようなものはなんとなく感じられた。帰りにドイツでの初演時の批評記事が掲載されたプリントが配られているのに気づく。それを読んだ上でもまだあまり内容を消化しきれていないのだけれど、わたしとしてはあまり観たことがないようなタイプの舞台公演で、これが無料で観られたのはとても良かったなと思う。美術展のオープニングのパフォーマンスとしては非常に豪華な企画だった。
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