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劇終/OSHIMAI~くだんの件

横浜の相鉄本多劇場に、KUDAN Project『劇終/OSHIMAI~くだんの件』を観にいった。天野天街(少年王者舘)作・演出、小熊ヒデジと寺十吾による二人芝居である。『くだんの件』の初演は1995年、国内では東京、名古屋、大阪、そして海外では台湾、香港、中国の各地でも上演されている。かねてからいろいろ評判を聞き、ぜひ観てみたいと思っていた芝居なのだが、2001年の名古屋公演以来、同じく天野天街が手がけた二人芝居『真夜中の弥次さん喜多さん』の製作にあたって上演が封印されていた。

登場人物はヒトシ(小熊ヒデジ)とタロウ(寺十吾)。芝居の冒頭で、古びたカウンターの奥にいるヒトシが「世の中のなにもかもが破滅してしまえ~ただしこの家をのぞいては」というようなことを叫ぶ。KUDAN Projectのサイトによると、クダンとは、「身体が牛、頭が人で、牛から産まれる。出生の直後に戦争や飢餓等に関する予言を残して、間もなく死ぬ。」とのこと。つまりヒトシ(=人+牛)は「クダン」の暗喩として存在する登場人物であるらしい。ある夏の日、ヒトシのところに浦島太郎と名乗る男が現れる。タロウは集団疎開をしていた子供の頃、このあたりの家の二階で「クダン」を飼っていたと言う。最初は見知らぬ者同士のようにかみ合わない会話が続き、そのなかでいろいろな行為が反復される。2つのコップが無数に増えてまた2つに戻る、また2つのスイカの皮が4つくらいになってまた2つに戻るまるで手品のようなシーン。半分に切られたタロウの名刺がセロテープで貼り合わされ、半分に割られたスイカの皮はガムテープで球状になるようにくっつけられる。そのようなナンセンスだか意味ありげなのかわからない行為の背景では「2」と書かれた日めくりカレンダーがかすかに揺れ、芝居に夢中になっているうちにいつのまにか紙がめくられている。めくられた紙の下も「2」である。古い掛け時計はずっと2時(丑の刻)を指している。

ヒトシは自分には予知能力があるのだと話すと、いきなり現実世界の本物のピザ屋に舞台のカウンター上に置かれた黒電話で注文し、タロウに向かって「今から40分後にピザが出現するであろう」と言ってのける。数十分後、その時点の芝居の進行状況にはお構いなしにドミノピザの宅配の人が現れ、客席を通って舞台上までピザを届けにやって来る。■ヤ→トコヤ→ト占、鰹節→顔つぶし、二階の牛→二回脳死など、言葉遊びがふんだんに挿入され、CDプレイヤーからは蚊取り線香、スイッチ一つで止む蝉の鳴き声、二人の少年時代の回想シーン、現実も記憶もぐちゃぐちゃになって舞台は進行していく。

観客の頭の中をすっかり麻痺させつつ、こんなふうにとっ散らかって展開するストーリーは、二階でタロウが目覚めるシーンにより一気に収束する。「日射病で外に倒れていて、ずっと眠っていた」とヒトシは話す。タロウは竜宮城から帰ってきた浦島太郎のように、自分のおかれた状況がわからずにいる。しかしその脇には先ほどのピザの箱が置かれている。白い幕が降りると無数の毛筆で半紙に書かれた「夢」という文字がプロジェクターで投影され、にぎやかに音楽が流れる。その部分がけっこう長いと思いきや、再び白い幕があがったときには、なんとピザを除くすべての舞台セットが取り払われ、二人は焼け爛れた服を着てからっぽの舞台に立っている。

終演後の挨拶で、小熊ヒデジが「『くだんの件』の再演はもうないかもしれません」ということを話していた。今回の公演を逃したらもう観られないのではないかという予感はしていたのだけれど、本当に観に来て良かったと思った。

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星ヲ売ル店

東十条のCafe SAYAでおこなわれた上映会、『星ヲ売ル店』星影幻灯祭に行った。事前にプログラムをよく把握していなくて、わたしとしては高遠瑛さんの新作映画が上映されるようなので観にいかなくちゃという心づもりで行ったのだけれど、相当盛りだくさんな企画だった。

まず最初が首藤幹夫さんによるスライド上映。太陽の光に透かしたビー玉の写真が少しずつ変化していき、最後に銀河を描いた白黒のイラストの写真が2カットほど。これが稲垣足穂『一千一秒物語』より「A MEMORY」。その次に七海遥くん(当時10歳ぐらい?)を撮影した写真を中心に構成した『Vignette』。これは以前高遠さんの『星の葬』が上映されたときにもやっていたのだけれど、そのときは遅刻して最後のほうしか観られなかったのだ。七海遥くんが着ている白いシャツや、あいだに挿入されるらせん状に丸まった紙の陰影がクラシカルで清潔なトーンを生み出している。被写体以外の余計なものが一切なくてシンプルなのだけれど、その一方でゴージャスな感じもするスライド上映だった。それから七海遥くんがキャンドルを手に登場。自分自身が投影されたスライドをバックに朗読をおこなった。

休憩をはさんだ後は高遠さんの映画上映。新作短編 星のカケラvol.3『流星夢』(8ミリ)、星のカケラvol.2『水上遊園-AQUAPIA』(DV)、『星の葬』『ALBIREO』予告編(DV)、そして首藤さんや七海遥くんが出演している映画『星の葬』(8ミリ)が上映された。『星の葬』を観るのは2度目だけれど、とてもすばらしい。どこを切り出しても絵になる美しい情景は、もともと写真家でもある高遠さんならではの画だと思う。新作の星のカケラvol.3『流星夢』では、前に話を聞かせてくれたビン博士が異彩を放っている。しかし、このプログラムは盛りだくさんすぎて、しかもどの作品にも七海遥くんが出ているので、頭のなかで全部まざってしまって『星の葬』以外はもうどれがどれだかよくわからなくなってしまった。時間にすれば休憩後の後半部分で30分強だと思うのだけれど。

Cafe SAYAに来たのははじめて。アンティークな内装が素敵なカフェだ。いろいろな鉱石やオリジナルのレターセットなどが売られている。あと鉱石ラジオがたくさん置いてあって、音が出るのかと思っていろいろいじくりまわしてみたのだけれどよくわからない。もともとカフェに置いてあるモノも素敵なのだが、高遠さんも写真や紙粘土でつくった飾り物、手作りのオブジェを容れたビン、映画のなかで小道具に使っていた石をきれいな箱に入れたものなどたくさん持ち込んで展示していた。それらをじっくり観てまわっていたら、食べ物と飲み物が出てきて打ち上げに。わたし以外に客で残っていたのはLA CAMERA常連の岩崎さん。映写機供出ということで山崎さんもいらしていた。はじめて来たお店だけれど気の知れた人もいるから安心。首藤さんの娘さんや七海遥くんがトランプやヨーヨーで遊んでいるのがほほえましい光景だった。岩崎さんとわたしは最後までいて、片付けもお手伝いしたのだけれど、高遠さんの持ってきた展示物でビンなどの割れ物がたくさんあって大変。もともとどういう状態で持ってきたのかを知らないから、プチプチに包んでカバンに詰めていくのにうまくおさまらなかったり。お店のシャッターを閉め、来る途中の電柱に貼られていた道案内のチラシをはがしながら、スタッフの人たちと一緒に帰った。

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みえないひとたち

古川万里さんの展示がおこなわれている北浦和マチェックに行った。夜には平野晶広ソロダンス お見舞いの2「みえないひとたち」という催しがおこなわれるのだけれど、チラシによると「面会時間中は自由にダンサー・作品を見る事が出来ます」ということになっている。この表現が何を意図しているのかよくわかっていなかったものの、夜は別の用事があったので夕方に訪れた。

マチェックにははじめて行ったのだが、1Fがカウンターのみのバーとちょっと凝った木造の内装のカフェ(メニューは一緒だが入り口が別になっている)で、2Fが展示やライヴなどができるスペースになっている。カフェのほうから入って2Fにあがったのだけれど、その階段がものすごく急でびっくり。梯子といってもいいくらいの角度である。本当にここを上がっていっていいものだろうかと躊躇したけれど、2Fから笑い声なども聞こえてくるのでそのまま昇りきって展示スペースに立ち入った。

古川さんの展示は以前Crosstalkというイヴェントで観ていて、そのとき少しお話しもしている。また、今野裕一さんがプロデュースした「どんちゃかの夜」というライヴ・イヴェントで、ボリス・ヴィアンの「日々の泡」をモチーフにした寸劇(?)で出演したのを観ている。なのでまったく知らない人でもないのだけれど、いずれもだいぶ前のことだ。「展示どうぞご自由に観ていってください」と声をかけていただいたけれど、そのときはただ「はい」と答えて、ひととおり観てまわった。鳥かごの作品や、石膏のようなものでつくられた手が天井からぶらさがっている作品、壁にはリボンに鶴を貼り付けたものがぶらさがっている。平野さんは奥のほうでテーブルの上に布団を敷いて寝ていて、その近くの柱には入院している人が書いている日記のようなテキストがプリントされたカードが無造作に貼られている。濃い青の紙に黒字でプリントされているので近づいて目を凝らさないと読めない。内容は病院で出される食事のことなど。

平野さんにちょっと声をかけてから日記を読み始めたけれど、柱の高いところや低いところにたくさんあるので、全部読もうと思ったらかなりの根気がいる。ある程度読んでからあとは平野さんとお話しした。平野さんはそのあいだもずっとテーブルの上の布団に寝たままで、つまり展示を観に来る人が入院患者をお見舞いするという趣向になっているらしい。だから面会時間なのか、なるほど。わたしは手ぶらでお見舞いに来てしまったのだけれど、前に来た人が持ってきたスイートポテトのおすそ分けをいただいてしまった。1Fのお店に飲み物をオーダーするのに、出て右の階段のほうが降りやすいですよとのこと。確かに、わたしが来たほうとは反対のバーのほうに降りる階段は普通の階段だった。普通とはいっても、展示スペースも階段も古い一軒家を改造したような感じで変わっている。もともとは2Fも二つの部屋にわかれていたみたいだけれど、真中にあった壁と押し入れをぶち抜いて一つにしたらしい。

それから平野さんに古川さんをあらためて紹介してもらった。古川さんは現在上海の大学に留学中で、今は旧正月のお休みを利用して日本に帰ってきているのだそうだ。その関係で平野さんも去年上海の大学構内でダンスをおこなったらしい。「今年11月に上海で展覧会をやるのでぜひ観に来てください」とのこと。うーん、その時期暇だったら行ってみたい。古川さんとお話ししていて、以前Crosstalkで展示を観たときに一緒だった中里さん(当時アップリンクのスタッフ)や、それ以外にも共通の知人の名前がたくさん出ておもしろかった。

あと平野さんにはマチェックという名前が映画「灰とダイアモンド」の主人公からとられていることや、昔は浦和にあったけれど、道路拡張工事で立ち退きにあって今の場所に移ってきたことなど、いろいろ教えてもらった。展示も良かったし平野さんや古川さんといろいろお話しできたのも良かったけれど、それ以上にこの場所がおもしろくて気に入ってしまった。ちょっと普段の行動範囲からは離れているけれど、近くに来る機会があったら立ち寄りたい。

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ガレージシャンソンショー / くものすカルテット

吉祥寺スターパインズカフェにガレージシャンソンショーのライヴを観にいった。ガレージシャンソンショーは、山田晃士(歌手)と佐藤芳明(アコーディオン)の二人組。去年シカラムータのライヴにゲスト出演していた佐藤芳明がとても良かったので観てみたいと思ったのだ。この日は「テアトル蟻地獄~其ノ壱」と題されたガレージシャンソンショーによる企画ライヴ。対バンでくものすカルテットが出演するので、くもカルファンの中島さんを誘った。当日はちょっと仕事にはまってしまい、たどり着いたときには2番目のくものすカルテットがはじまってしまっていた。中島さんは1番目の杉原徹の最後のほうで入場して席をとっておいてくれていた。場内はほぼ満席で、女性客が圧倒的に多い。

くものすカルテットは、カルテットとはいうもののメンバーは7人(8人?)。ヴァイオリン、アコーディオン、サックスなどアコースティック楽器主体で、なつかしい雰囲気の音楽を演奏するバンドだ。サックスの人が頭に猫のかぶりものをかぶっていて、他のメンバーもみな猫のひげを顔に書いている。唄ものの曲もあるけれど、「アラビア」「ペテルブルグの一月」(?)などエキゾチックな雰囲気ただよう曲が特によかった。最後の曲はガレージシャンソンショーの二人も参加。くもカルの坪川拓史とガレシャンの佐藤芳明、二人のアコーディオニストが手をのばしてお互いに相手の楽器を弾いたりしていたのがおもしろかった。

くものすカルテットのあとしばらく間を置いて、ガレージシャンソンショーの二人が客席中ほど右側に設置されたステージに登場。ぞんざいな調子で「起立」、「礼」、「着席」と言うと、熱心なファンと思われる前のほうの人たちがちゃんと立ってお辞儀。それから佐藤芳明がエチオピアの音楽を紹介。「エチオピアってどこにあるか知ってる人」とか言ってお客さんに答えさせたりしたあと、何曲かをほんのさわりだけ流していた。わけがわからずあっという間に終わってしまったが(まじめに紹介しようという意図はなさそうだ)、なんだかおもしろおかしい。中島さんによると、くものすカルテットの前にもやっていたそうだ。

その後エディット・ピアフの曲が流れて、あらためてガレージシャンソンショーの二人が前のステージに登場。くものすカルテットの最後に出てきたときからそうだったけれど、山田晃士は長髪に黒魔術の魔術師のような(?)衣装、佐藤芳明は真っ白な短髪をあちこち立てた頭にラメのシャドーたっぷりの化粧で、まるで宇宙人のようないでたちである。アコーディオンには「蟻」という文字と髑髏を飾っている。ステージ上のテーブルには燭台が置かれて蝋燭には火が灯されている。非常に濃い雰囲気。

山田晃士の唄はしっかりした発声でとても上手い。シャンソンというよりは暗黒オペラという感じがしなくもなかったのだけれど。MCで「最近何か不幸な目にあった人」と言うと場内はシーン。「なーんだ、みんな幸せいっぱいなのね」というようなことを投げやりな感じで言うのに受けてしまう。その後前のほうにいたお客さんが不幸の話をすると、その内容を歌詞に取り入れて唄っていた。他にも女言葉で唄う曲など、毒を芸にしているような芸風である。

そして佐藤芳明のアコーディオンがすばらしい。一台のアコーディオンでこれほどまでにゴージャスな音を奏でられるのかと驚いた。途中でアコーディオンみたいな形をした楽器に鍵盤ハーモニカのようなパイプがついていて、左手のおさえるところでベンディングのようなことができるようになっている変わった楽器を弾いていた曲があった。

最後のほうでは二人とも客席に降りてきて演奏。わたしの隣に座っている人が熱心なファンの様子で、合いの手のようなコーラスを大きい声で唄っていたら、佐藤芳明がその人のところまですっとんで来て握手していた。そのお客さんは本当にいい感じで楽しそうにしていて、確かにちょっと目立っていた。「起立」と言われて素直に立つファンの人たちも含め、観客の雰囲気が妙に印象に残るライヴだった。

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TARENTEL

TARENTELのライヴを観に渋谷O-NESTに行った。TARENTELはサンフランシスコのポストロック・グループ。以前かなりはまってアナログなども買い揃えていたのだけれど、気がつかないうちに日本盤のCDなども発売されていたようだ。先週の渋谷クアトロ公演は都合が悪かったので今日の追加公演を選んだ。

開演を一時間以上過ぎて入場したときに演奏していたのは、euphoriaというギター、ベース、ドラムのスリーピースバンド。1曲しか聞くことができなかったが、ひたすら同じコード進行のパターンを繰り返しながらどんどんテンションを挙げていき、最後はアクションも含めかなり激しい演奏になって終わった。ちょっとドラムの音が小さい気がした。

次に出演したのがJohn juhl's Cornfield。ギターx2、ベース、ドラムの4人組。ギターの2人とベースはそれぞれアンプを2台ずつ利用。ドラムセットの前に6台のアンプが横にぎっしりステージ上に並んでいる様子は圧巻。バックの2つのスクリーンにはVJによる映像が投影されている。音はセッティングの時点で想像がつくとおりの轟音ギターバンドだった。ギターの一人はヴォーカルもとっていたけれど、轟音にかきけされていてほとんど聴こえない。ギターの音も、エフェクトたっぷりでそれぞれどんなことを弾いているのかよくわからない。テープ逆回転風の音がしたりいろいろ凝っていた。わりと楽観的でおおらかな雰囲気が感じられる曲調だった。

次のCONDOR44はギター/ヴォーカル、ベース/ヴォーカル、ドラムの3人に、曲によってはエレクトリック・チェロ、ピアノのサポートの人が入っていた。ドラムはステージの前の横のほうにセッティングされている。けっこう手数が多くて複雑なパターンも叩くが、きちっとした乱れのないビートがサウンドの柱になっている。ベースの人は唄いながらでもよく指が動く。ギターの人も変わったコードでアルペジオを弾いたり、フィンガリングのニュアンスを残しながら弾いたりして上手い。わりと激しめのリズムを基調にした曲が多いけれど、轟音ギター系から静かめの曲、ノリのいい曲までいろいろなタイプのものがあって楽しめた。

そして最後がTARENTEL。フロント二人のそれぞれのところにターンテーブルやミキサー、キーボードなどの機材がある。他に鈴やマラカス(?)など小物もいっぱい。左側の人はギター、右側の人はクラリネットも演奏。あと後ろにドラムの人がいる。TARENTELのメンバーはこの3人。あと演奏がはじまってしばらくはmonoというバンドの人が2人、両サイドでしゃがんでギターを弾いていた。monoの2人が入っていた最初のほうはきちっとしたリズムをバックにした轟音サウンド。ドラムとクラリネット(フレーズなどを吹くわけではなく最初のほうで持続音を発していた)以外、どの音がどこから出ているのかまったくわからない。しかしノイズというよりはランドスケープを感じさせるような雄大なサウンドで、うるささは感じない。しかし、今までCDで聴いて想像していた緻密で静謐なイメージとはちょっと違っていた。

数十分経ち、ドラムの人が一定のリズムパターンを叩くのをやめると、monoの2人がステージを去った。今度は左側の人がギターを持ち、ちょっとトリルのような感じで弾き始めたが、メロディーらしきことを弾いていたのはほんの最初だけ。あとはだいたいフィードバックさせたり効果音的なサウンドを発していた。フロントの二人はその後も機材を駆使して音を持続させながらその他の楽器を弾いたり鈴を鳴らしたり。前半ではあまり触ることがなかったターンテーブルもよく利用していたが、かかっているレコードも効果音かドローン的な抽象的な音を出していた様子。ドラムの人はシェイカーを振ったりかすかにドラムを叩いたりしていたが、後半ではあまり演奏していなかった気が。

バックにはずっと映像が流れ続けている。基本的に手持ちカメラで風景を流し撮りしたもので、細かい編集はほどこされていない。即興でえんえんとダイナミックに、そして耽美的に音を綴っていくTARENTELの音楽にとてもよくあっていた。アスファルトの道のひび割れをつたっていくなど、舐めるように対象を捉える手持ちのカメラワークが8ミリで廃墟を撮り続けている関根博之さんの映画を想起させる。最初のほうは街角の景色だったが、だんだん港や風力発電の風車が立ち並ぶ風景など雄大なものになり、最後のほうは雪が積もった林の中で撮影された映像になっていた。空に向けられたカメラが重なりあう枝の揺れる様子を捉え、だんだんミニマルな映像になっていく。演奏もそれに合わせるようにだんだん収束していく。

最後、音がだいぶ静かになったところでカタカタと映写機の音が。なんと8ミリで上映していたのだ。逆光でのフレアの広がりかたがなんとなくフィルムっぽい質感だなと思ってはいたのだけれど、てっきりテレシネしたものを流しているのだと思って観ていた。映像が終わると同時に演奏も完結。一時間数十分のライヴで終演は11時半近くになっていた。だいぶ時間が押していたようなので一体どれぐらい観られるのかと思っていたけれど、たっぷり観ることができて良かった。想像していた雰囲気とはちょっと違っていたものの、気持ちの良い音空間と映像に満足したライヴだった。

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冬幻響

青山(外苑前)のGallery ART SPACEでおこなわれているグループ展『冬幻響』を観にいった。この展覧会には友人のサノトモさんと佐藤さんによるユニット、デクノ・バラクーダが参加している。サノトモさんは個人でも絵を描いたり、冊子を作ったり、オカリナを吹いてライヴをやったりいろいろなことをしているが、この佐藤さんとのユニットでの作品の評判が良いらしく、最近よく一緒に活動しているようだ。

展示されていたのは佐藤さんが紙粘土のようなもので作った造型にサノトモさんが着色したオブジェが10点ほど。抽象と具象の中間のようななんともいえないにょろっとした生き物っぽい造型物に色鮮やかな模様が描かれている。どれも掌に乗るほどのサイズで、カワイイような気持ち悪いような不思議な置物のような物体である。なるほど、以前サノトモさんが個人で発表していた、ぐしゃっとしていて良い意味で彼女の奔放さが出ている作品と比べると、デクノ・バラクーダのほうはもうちょっと落ち着きがあって、アート作品としてギャラリーで鑑賞するにはいい感じがする。

他にもGallery ART SPACEのオーナーである篠原さんのモノクロ写真(自然に囲まれた古いトンネルがある風景の写真など)や、カラー写真、イラスト、針金で形作った作品、鍋敷きのような布に刺繍がほどこされた作品など、いろいろなタイプの作品が展示されている。『冬幻響』というタイトルだから主に冬を意識して作られているのだと思うけれど、なんとなく暖かい気分になるような作品が多かった。あとGallery ART SPACEは、いつもトイレでギャラリー内とは別の展覧会をやっているのだけれど、神社の御札のような木の板にイラストを描いた作品が展示されていた。

そのあと表参道まで歩いてNADiffへ。店内のギャラリーでは森山大道+荒木経惟『コンタクト・新宿・トリミング』展がおこなわれている。森山大道はコンタクト・シートの展示。壁の一面にはベタ焼きしたプリントに引き伸ばす写真を指示するため(?)に赤で枠を書き入れたもの、あとギャラリー真ん中のテーブルにはびっしりとベタ焼きのプリントを敷き詰めたものが置かれている。荒木経惟は、トリミングされたポジのシートを残り3面の壁いっぱいに貼り詰め、またその同じ壁上にポラロイドのフィルムにプリントされた写真を、(おそらく後ろのポジのプリントが隠れないように)少し壁から浮かせて展示している。すべて新宿で撮影された写真で、作風の違いは歴然としているけれども全体的に猥雑な雰囲気だ。それぞれの写真にはタイトルやキャプションはない。狭いギャラリーにぎっしり詰め込まれた膨大な量の写真は、一枚一枚を観て楽しむこともできるが、全体で一つのインスタレーションとして観るのが良い感じだった。

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アーキグラムの実験建築 1961-1974

水戸芸術館に「アーキグラムの実験建築 1961-1974」を観にいった。アーキグラムは1960年代から1970年代初頭にかけて活動していた建築家グループ。『アーキグラム』誌を刊行していろいろ実験的なアイディアを発表しつつも、実際に施工された建築物は一つも残していない。2002年に英国王立建築家協会(RIBA)のゴールドメダルを受賞したことで近年再評価され、注目を浴びている。オープニングの日ということもあり、アーキグラムのメンバーのうちの4人、ピーター・クック、デニス・クロンプトン、デヴィッド・グリーン、マイケル・ウェブによるギャラリー・トークがおこなわれた。

展示で特に目を惹くのは彼らの都市や住宅に対するアイディアのドローイングやコラージュ。SFコミックや広告の手法を引用したデザインは、現在でも十分通用しそうなカッコよさ。パネルに入れられて壁にかかっているだけではなく、ショッピングセンターの装飾のようにビニールに印刷されて天井から吊られたり、大きく壁一面に引き伸ばされたり、かなりファッショナブルな展示風景だ。トークでメンバーの一人は「当時の楽しい雰囲気を感じてほしい」ということを話していたが、レトロとかノスタルジックというような古さは感じなかった。むしろ目を奪うようなカッコいいヴィジュアルに圧倒されつつ、現在生み出されているものは所詮過去の焼き直しばかりなのだという虚無感を覚えた。

アーキグラムが提示したアイディアには、「インスタント・シティ」「リヴィング・シティ」のような都市に関係しているものが多い。例えば「プラグイン・シティ」というのは耐久性3年くらいのユニットを組み合わせて都市をつくるというものなのだが、まじめに突っ込めばゴミ問題などはどうするのということに。しかしアーキグラムの活動は、実現可能な建築物を設計することよりも、想像力を駆使して都市や住空間に対する斬新なアイディアを提示することに意義が置かれていて、彼らにとってはまさにそのことこそが建築だったようである。トークでメンバーの一人は「60年代という時代は個人がなりたいようになることができるようになった時代」で、「その反面どんどんモノを消費する社会になっていった」と話していた。

ドローイング以外にも、コラージュや模型、オフィスの再現などのインスタレーションも豊富。特におもしろいと思ったのは、あるコンペに招かれたときに作成した審査員に提出する資料一式をおさめたブリーフケース。ブリーフケースをあけると模型があって、紙の資料もブックレットのようになっていて一緒におさめられている。マルティプルのアート作品みたいだ。

モンテカルロのコンペに関するトークもなかなかおもしろかった。このコンペに招待された建築家のなかではアーキグラムは明らかに異色の存在で、まさか優勝するとは当人たちも思っていなかったらしい。しかし海岸線を破壊しないように建物全体を地中に埋め、地下空間はスポーツの競技やコンサート、美術展覧会などどのようなイヴェントにもレイアウト変更可能で、内部のいたるところを動き回るロボットにより最先端のサービスが受けられる、という彼らの提案がなんと優勝してしまった。トークでは、このことについて主催者にとって賢明ではない選択というような皮肉っぽい言いかたで語っていたのが印象的。しかしこの計画はモナコ政府の資金繰りの問題により実現されなかった。

もともと個人でも大学で教鞭をとったりそれぞれの仕事をおこなっていた各メンバーは、1974年のオフィス閉鎖後は別の道をたどることになる。展覧会ではアーキグラム以外での各メンバーの仕事(ドローイングなど)も一応とりあげられているが、その中で非常に気になったのが「建築家が死ぬ場所を探す」というようなタイトルの写真作品。そしてその隣には等身大ぐらいの死人らしき人影の上にメッセージが書かれた紙がコラージュされている作品がある。これらはアーキグラム解散後にデヴィッド・グリーンがカーサ・ヴェルデと共同で発表した作品なのだが、ファッショナブルで派手なアーキグラムのイメージのなかでは明らかに異色だ。アーキグラム時代でもデヴィッド・グリーンが関わった作品やアイディアを観てみると「エレクトロニック・トマト」や「LAWUN」など自然と技術との関わりを示唆し、使い捨てや消費のイメージとはちょっと違うタイプの作品を手がけているようで興味深い。

展示室内では美術ジャーナリストの小倉さん、インディペンデントキュレーターの原さん、建築家の木内さんに会った。木内さんは、今日のトークの内容は今までアーキグラムに関する本など読んで知っていたことが多かったから、そんなにはおもしろくなかったみたい。

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上野茂都

仕事の合間に京橋の藍画廊に上野茂都展を観にいった。ギャラリーでは上野さん本人が声をかけてくださった。少し前までLA CAMERAの大宅さんもいらしたのだそうだ。上野さんは今日これから高円寺の円盤でライヴで、ご丁寧にもギャラリーのかたに「お茶をお出ししてください」と声をかけてから去っていかれた。

今回の展示は縁持石、混繰土(コンクリート)による石像の彫刻作品。寺社に置いてあるような楼閣をかたどったもの、動物(象、亀)をかたどったもの、高い台の上で布団を掛けて眠っている人をかたどったものなどがある。

布団に眠る人のモチーフは上野さんの作品ではおなじみ。このタイプの作品「眠(小)」「眠(松)」「眠(竹)」「眠(梅)」は混繰土で造られていて、布団の部分が彩色されている。小さい人が布団に眠っているという実にささやかな造形物が彫刻作品として高い台の上に鎮座している様はとてもユーモラス。

楼閣をかたどった作品「楼閣(壱)」「楼閣(弐)」「楼閣(参)」も混繰土で造られている。混繰土の作品は縁持石の作品よりも表面のザラザラが荒々しいのだけれど、屋根やくり貫かれた小窓などの複雑でちょっといびつな形がいかにも雨風にさらされているかのような風情をさらしていて味わい深い。

縁持石の作品の造形はもう少し繊細で、一番手前に展示されていた「阿」「伊」「吽」と名づけられた作品は抽象的な形のようでもあり、丸まった猫のようでもあり、デフォルメされたお地蔵さまのようでもある。「騎象像」は象の上に人が乗っているのだけれど、象の形がどっしりとした彫刻の台座のように抽象化されていて、上に乗っている人はなにかありがたい菩薩像であるかのような様相を見せる。「亀山」は3頭重なった亀が、ぱっと見ただけでは丸い石が3つ積み重ねられているように見えて、普通に寺社の庭にでも置いてありそうな感じの造形物である。「山水」は展示作品の中で一番複雑な形をしていて、やはり寺社にある石像や楼閣をミックスしたような不思議な様相を呈している。

あと、青銅の彫刻作品「騎象像(弐)」「楼閣(与)」と、和紙に彩色した絵画作品「眠画」の3点がギャラリーの外から窓ごしに観られるようになっている。個々の作品の良さはもちろん、作品点数も多くて見応えのある展示だった。

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かげろふ / 獨逸日録

今日で3日連続のLA CAMERAの上映会。下北沢の駅から歩いていく途中で海野さんに出会ったので一緒に行く。会場に着いたら、きのう「行けたら行く」と話していた大槻さんも来ていた。今日は山崎さんは早稲田の講師のお仕事でお休みなので大宅さんが上映。今日のプログラムは山田勇男さんの新作のうちの2つ、『かげろふ』と『獨逸日録』(いずれも8ミリフィルム作品)である。

『かげろふ』は自宅の玄関先で撮影したというカラー12分の短編。山田さん自身の影が落ちたコンクリートの地面にオーバーラップして一輪の花の映像がかぶさる。そのうちオーバーラップの映像も山田さんの影に変わり、それぞれの影が形づくる輪郭が陽の光の強さに応じて濃くなったり淡くなったり。そしてオーバーラップの片方はコントラストの高い曇り空の映像に変わり、山田さんの影を曖昧なものにしていく。一見ミニマルな美しさの中に山田さんらしい情感がたっぷりこめられた作品だ。地味な小品だけれど今回上映された山田さんの新作のなかでも特に心に残る一本。

次は『獨逸日録』(モノクロ&カラー 30分弱)。去年5月にドイツのオーバーハウゼン短編映画祭で山田さんの作品の特集上映がおこなわれた際に撮影された作品である。古いモノクロの絵葉書をパラパラめくっていき、たまにカラーの絵葉書が混じっているようなイメージで作ったのだそうだ。おととい上映された『郷愁』と同様に冒頭はめまぐるしい一瞬のカットの連続。飛行機の着陸音が被せられている。飛行機の中から撮影された映像も挿入される。モノクロの映像がカラーに変わってちょっと長め(とはいっても数秒だけれど)のショット。山田さんが泊まっていた宿の部屋らしい。スウェーデンで撮影された『郷愁』では野外の美しい景色がたくさん収められているけれど、『獨逸日録』ではドイツ滞在中雨の日が多かったらしいこともあり、屋内で撮影されたカットが多い。部屋の中にはマグリットの絵葉書などが置かれている。大部分がモノクロの映像で、『郷愁』が(山田さんの映画にしては)明るめなのに比べると、しっとりとした落ち着いた雰囲気だ。手持ちカメラの揺れはあるものの大きな動きは少ない。絵画的なカットが次々とつながれているところが、ソクーロフの『ロシアン・エレジー』や『ペテルブルグ・エレジー』と共通点を感じる。そのような中で、金井勝(『前衛仙術』が同映画祭で国際批評家連盟賞を受賞)夫妻が一瞬映る場面や、同じ宿にいた人々にカメラを向けた映像などはちょっとしたアクセントになっている。宿の部屋の中で鏡に映った山田さん自身が画面に登場する回数も多い。屋外で撮影されているシーンで印象的なのは、ささやかな電飾で飾られた地方都市のちょっと寂れた街並み。欧米の都市に旅行したときそのような電飾はよく見かけるけれど、日本の押し付けがましい派手なクリスマスのイルミネーションよりもずっと素敵だと思う。灯りがついていない昼間でも古びた鉄骨が風情を醸し出す。一番最後のシーンでは電球などで飾られたお店の窓がモノクロで、そして同じアングルでカラーでも映される。

この日の上映にはヘンリクさんがいらっしゃっていた。寺山修二の映画『さらば箱舟』は加賀まり子主演で撮りたかったのだけれど、どうしてもスケジュールがあわなくて小川真由美になったという話を聞いて驚愕する。あと原田芳雄からニキータ・ミハルコフ、あと上野茂都さんの話など。山ちゃんが上野さんの唄キライだって毒づいていて、ヘンリクさんと「炊事節とか型落ちブルースとかいいですよねえ」ってますます盛り上がってなんだかおもしろかった。帰りは大槻さん、海野さんと3人で下北沢駅まで一緒に帰った。

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眠る永遠主義

今日もきのうに続き下北沢LA CAMERAへ。今日は友人の大槻さんと待ち合わせて行った。今日のプログラムは山崎幹夫さんの新作『眠る永遠主義』(8ミリフィルム、カラー40分)。

上映のパンフレットやチラシの中に山崎さん自身が書いた「『眠る永遠主義』ノート」というB5サイズ3ページ強の文章が折り込まれていて、今回の映画のコンセプトやその動機、実際にどのようにして撮ったのかなどが書かれている。この文章はすでにきのうもらっていたので、上映会には一読してからのぞんだ。文章にはこう書かれている。「物語の発生しようのないようなもの、そしてできれば意味がきれいに剥落しているようなもの、そんなものが撮りたいと思った。」今まで作品のなかで廃墟や廃墟的なもの(色あせた看板や剥がれたはり紙)を多く登場させてきた山崎さんが、そういうものをあえて避けて「ペンキ塗り立て」や「ぴかぴか新品の金属もの」を頭のなかに描いて撮った作品ということらしい。また、前作『無翼の朝と夜』と異なる点として「三脚使用」のルールを設けているとのこと。「手持ちカメラでの揺れは作者の存在を誇示することになる」からだそうだ。作者の存在を薄くしたり物語性を排除しようとする試みは、古今東西多くの作家によって実践されてきたことと言ってよいだろうが、今まで70本近い映画を撮ってきた山崎さんがあえて今そのようなことに挑戦するとなると、どうなるのだろう。山崎さんのこれまでの作品には、むしろ物語性を逆手にとることで観客を驚かすような仕組みを持ったものも少なくない。

『眠る永遠主義』はほとんどの部分が数秒の静止したカットで構成されている。被写体は山崎さんがコンセプトに合致すると思われる物体を何ヶ月もかけて撮りためていったもの。「ペンキ塗り立て」ということで新品のガードレールや公園の遊具などが多く登場する。しかし被写体の条件はそれほど厳密なものでないようにも感じられた。駐車場の手書きの看板やさびれて放置されている自動販売機、古びたゴムホースなど、廃墟的なものが感じられなくもない物体もけっこう撮影されている。遠くを人が横切ったり、工事現場でパワーシャベルが動いたりしているカットがごく稀にある。「動くものに注目しない」ということを念頭に置きつつも、人がまったく画面に入らないと「人類が滅亡して誰もいなくなってしまった世界」という物語が生じてしまうために、あえて通行人を画面から排除することはしなかったのだそうだ。ズームやパンなどの手法も使わずに三脚に固定したカメラで撮影していることもあり、だいたいはスライドショーを観ているような感覚なのだが、中盤に夜に車を走らせながら撮影したらしい闇の中に光の筋だけが動いている映像が数分間挿入される。その部分をのぞけば路上観察モノの一つのジャンルといって説明しても差し支えがなさそうな作品だ。

この映画での山崎さんの試みがうまくいっているのかどうか判断するのは難しい。実際に観た感覚としては、コンセプトに合致する被写体を選別するセンスよりは、こんなにたくさんよく探し回ったなという量的なレベルで圧倒されてしまった。ただ通りかかって見つけたものを漫然と撮っているわけではないアングルへのこだわりも観てとることができる。また三脚使用というのは確かに非常にわかりやすいレベルで前作からの断絶を示している。作家性や物語性を極力押さえながらも、作りモノとしての強い作為や意思が伝わってくる内容になっていることには感心もするし、驚かされもした。しかしそれを考えるとバックに流れるサウンドが外国のラジオの音楽番組を流しっぱなし、というのはちょっといただけない感じがしなくもない。山崎さん自身がギターを弾いていたり街で採取した音をミックスしていた前作と対照的ではあるけれど、単にそういうアンチテーゼみたいなものの組み合わせで作品が成り立つのかという気もする。しかしそれはそれで山崎さんがこの作品を作るにあたっての大きな選択であっただろうし、敢えて一本筋が通ったようなものにするのを避ける意図はあったかもしれない。

ちなみにこのラジオはハンガリーの番組なのだそうだけれど、かかるのは終始ダンス・ディスコ系のにぎやかな曲。ロシアとか東欧のヒット曲って、今日本で聴くと時代遅れ感さえただようユーロビート調の曲が圧倒的に多い。去年ロシアで大流行していると聞いたO-ZONE(モルダビアの3人組)の曲がかかっていて、ロシア・マニアのわたしとしては楽しんでしまった。しかしそのことは作品の善し悪しとは関係がない。また、楽しんだといってもその曲が好きなわけではない。やたら耳につく曲なのだけれど。

今日の上映には山ちゃんが来ていた。わたしは山ちゃんのことをよく知らないのだけれど、「札幌市 山ちゃん」だけで手紙が届くという都市伝説まである人らしい。山田さんの『アンモナイトの囁きを聴いた』や山崎さんの『プ』でもお仕事をしているそうだ。ヘンリクさんの家に泊まっているようで、ヘンリクさんの話をいっぱいしていた。

大槻さんにはインド旅行の写真をプリントしたものを見せてもらう。その中で一枚、街角でものすごく古い写真機で写真を撮る商売をやっている人がいて、その人に撮ってもらったという写真があった。その場で現像して絵葉書ぐらいのサイズの紙に焼き付けてくれるのだそうだ。大槻さんがそのカメラマンを撮ったスナップもあったけれど、本当にすごく古そうなカメラだ。帰りは山崎さん、大槻さん、イメージリングスのしまだゆきやすさんと下北沢駅まで一緒に帰った。

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コバルトガラス / 郷愁

下北沢のLA CAMERAに、山田勇男さんの新作映画のうちの2本、『コバルトガラス』と『郷愁』を観にいった。いずれもカラーの8ミリフィルム作品である。

『コバルトガラス』には少年王者舘の夕沈が出演。夕沈のおかっぱの髪や年齢不詳な顔立ちは、ちょっと昔の子供の雰囲気を漂わせている。林のなかにぽつんと建つ古いドーム型の屋根を持つ建物のそばにたたずむ夕沈は異世界から来たかのよう。最後、バックの音楽に打ち込みのリズムが入ってきてすごく盛り上がっていくのにちょっとびっくりした。15分ほどの作品。

『郷愁』は30分ぐらい。昨年の秋、山田さんの映画がストックホルムの美術館で紹介されたときに2週間ほど行って撮影してきた作品だそうだ。最初のほうはめまぐるしい早いカットで街並みが写されている。空に向けたカメラが捉える飛行機雲や電線(路面電車の架線?)の線状の模様が生み出すシャープな効果は、山田さんの映画にしてはちょっとめずらしい雰囲気。でも全体的にはいつもどおりまったりしている。一瞬のカットでも空の色やゆったりと流れる川、あざやかな色の花や落ち葉などが脳裏に残る。次第にもう少し被写体をじっくり認識できるぐらいの長さのカットが中心になっていき、山田さん自身の影や出会った人の映像が挿入される。強い光を浴びて画面上では白くとんでしまった花の上に山田さんの影が覆いかぶさると、花びらがほんのりピンク色に色づいて見えるシーンはとても印象的。列車に乗って田舎のほうに出かけたり、旅の様子が伺われる場面もある。あと美術館の映写室や館外のパブリックアート、街角の広告など。後のほうでは狭い路地を撮ったシーンが増えていく。建物の窓から照り返して路地に落ちる光の複雑な模様が美しい。山田さんの影が二重になっているシーンがおもしろい。

終映後はお酒とおつまみが出て歓談。右隣にいたのがドキュメンタリーをつくっている野田さん。山田さんや山崎さん、大宅さんにもインタビューした25分の作品が完成し、京橋の映画美学校で上映したとのこと。その作品には、山崎さんの自宅での上映会の模様も少しおさめられていて、そのときにいたわたしも一瞬映っているのだそうだ。ぜひ観てみたい。あとは岩崎さん、高遠さんなどのLA CAMERA常連メンバーとも話す。

山田さんはスウェーデンに行っていたとき、実はとても体調が悪かったらしい。でも映画はスウェーデンの美しい街並み、出会った人々や子供たち、良いお天気にもめぐまれて、山田さんの映画にしては明るめの作品に仕上がっていますよね、というようなことを話した。

打ち上げ途中で島本さんが現れた。島本さんはペーソスでTV出演し、ついこないだ放映されたばかり。せっかくの全国放送なのにわたしは見損なってしまって残念。

帰りに駅まで歩いていくとき、ライヴや演劇など舞台写真を撮っている窪田さんとお話しをした。ウェブサイトを教えていただいたので家に帰って見てみたら充実した内容でびっくり。

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川口雅巳

みみのことの川口さんのソロを観に新宿ゴールデン街のお店、裏窓に行った。裏窓では灰野敬二や工藤冬里などけっこうな大物のソロ・ライヴがよくおこなわれているので気になっていたのだが、行くのははじめてだ。開演の8時を10分くらい過ぎたところでお店にたどり着き、ドアをあけるといきなりものすごい人。一番目の喜納亜里抄(アコースティック・ギター弾き語り)がすでにはじまっているが、人ごみに隠れて姿はまったく見えない。カウンターのほうからメニューがまわってきたので、とりあえずオーダーをすませる。するとまたあとから2人入ってきた。もうこれ以上は入れそうにない。瓶ビールを飲むために体をちょっと反らせるのも一苦労だ。

喜納亜里抄という人についてはなにも知らないのだが、ときどき語るようにしてメロディをはずしたり声を裏返したりしながら唄うのがおもしろい。ちょっとシャンソンっぽいといえばそうかもしれないが、そんなにアクが強いものでもなく、けっこうナチュラルで聴きやすい。ギターも、コードをじゃかじゃか弾く伴奏というよりは唄に添えるように爪弾いているのがとてもいい感じだった。3曲ぐらいしか聴くことができなかったけれどとても良かった。姿が全然見えないままだったこともあるし、機会があればまたライヴを観てみたい。

次はDoodles。出演者入れ替えの隙にちょっとだけ店の中ほどに進むことができて、なんとかドラムの柴田奈緒が見える位置にくることができた。右側にいるヴォーカル/ギターの寺島暁子はまったく見えない。Doodlesを観るのはおととしの12月以来だが、以前は消えてしまいそうなはかない印象だった寺島暁子の唄がずいぶんしっかりとしたものになっていた。最初のほうでやったマイナー調の暗めのメロディーの曲は、声質のせいもあって昭和歌謡っぽいレトロな雰囲気が感じられた。今日は防音設備などもない狭いお店のなかでの演奏だからドラムはスネアと鈴だけ。リムショットやヘッドをこすったりスティックどうしを叩く音を入れるなど、単調にならないようにいろいろ工夫している。しかし、どちらかというとあとのほうでやった素直にリズムを刻んでいる曲のほうがうまくいっていたような気がする。

最後が川口雅巳ソロ。Doodlesが終わって帰った人もいたみたいで、またちょっぴり前に進むことができた。少し店内が空いて、前のほうの人がみな座ってくれたので、今度はばっちり全体が見える。川口さんは今日はガットギターを使用。イコライザーらしきものがついていて、ラインで音を出せるようになっているようだ。演奏の合間に何度もイコライザーを調整していた。ガットギターってもっとやわらかい音がするかと思っていたけれど、意外とクリアで硬い感じの音だった。でも弦をはじくときのニュアンスがそのまま響いてきて、ものすごく繊細な感じがする。普段みみのことでもやっている曲に、アルペジオを加えるなどちょっとアレンジを変えて演奏していたのだが、歌いながら弾くにはとても複雑そうなことをやっている。ピックを使ってコード中心に弾いていた曲もあったけれど、指弾きのときのほうがガットギターらしいぱきっとした音がして新鮮だ。

終わったあと、片付けをしているところにいってギターをすぐ近くで見せてもらった。川口さんはエレキギターでもけっこう指弾きをするので、アコースティック・ギターでも弾いていてあまり違和感はないのかなと思ったけれど、尋ねてみるとやっぱり難しいとのこと。でもアコースティック用のアレンジなどは「適当」なのだそうだ。とても適当にはみえなかったのだけれど。さすが。

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サ・カ・マ・ル・ン・ドVII 再生

若尾伊佐子solo dance「サ・カ・マ・ル・ン・ドVII 再生」を観に中野テルプシコールに行った。ついこないだの除夜舞で、若尾伊佐子さんは無音(BGMを使わない)で20分程度踊ったのだが、今日の公演は同じく無音の中、ソロで1時間程度踊るのだそうだ。非常にストイックで実験的な試みである。

会場の受付でちょうど前にいたのがサノトモさんと佐藤さん。場内に入ると平野晶広さんがスタッフとして働いている。開演時刻もせまっていたのでそのときはあまり話などせず、階段状になった客席の2段目の真ん中に腰をおろした。

少し開演時刻を過ぎ、やがて暗転になった。再び照明が灯ってから若尾伊佐子さんが登場。白いタンクトップ姿で膝にはサポーター。わざわざ着飾ったりするようなものではない、身体の動きそのものを観てほしいという表現に対するスタンスが現れているのかなと思う。

最初はステージの中央に立ち、少しずつ体を傾けていくところからはじまった。だらりとおろした腕は重力に任せているようでもあり、力をこめているようでもある。だんだんと傾いてゆき、ある時点でばたっと崩れてしまう。

去年の除夜舞でのダンスは「植物をイメージした」と話していたので、今日はどのようなイメージなのだろうと考えながら観ていた。あおむけの状態で腕や足をもがくように動かす様子は昆虫のようだったし、その後這ってステージ上を動きまわっていたのは芋虫みたい。でもそう思ってみるとあまりにも動きが具体的すぎておもしろくないような気がする。一つ一つの動きを頭の中で抽象化してとらえながら観ていくうちに、次第に頭の中が真っ白になっていく。

除夜舞のときはステージ中央からの移動がほとんどなかったが、今回はその場面によって、まったく移動せずに腕などの動きのみで表現するところもあれば、ステージの隅々まで動きまわるところもあるといった具合だ。もっともその区切りを場面と呼んでいいものなのかどうかわからない。

後半のほうで、まるで蝶の羽のように手をひらひらと動かしているように思われた場面があって、これはもしかして芋虫が成長して蝶になるような展開を描いているのかなと考える。そのように考えると、最後のほうの場面は「死」を描いたものなのだろうかという気もしてくる。かかとをつけてしゃがんだ状態でじっとしていたのが印象的。底のある靴をはいていればまだしも、裸足であの体勢を長時間保つのは鍛えている人でもけっこう辛いのではないだろうか。そこから次第に立ちあがっていくときの動作は壊れてしまいそうな繊細さがあって、観ているほうにまでしびれが伝わってきそうだった。

終演後はワインやソフトドリンクが振舞われたので、ちょっと飲みながら周りの人と雑談。本番中は暖房がきられていたようで、だだっぴろい場内はかなり寒い。コートを着てストーブの前に固まっていた。あとで聞いた話では若尾伊佐子さんも寒くて鳥肌がたっていたのだそうだ。「長かった」「寒かった」ってまるで苦情のような感想ばかりを言ってしまったのだけれど、長くて退屈したという意味ではなくて、「無音のなかこんなに長く踊り続けたのはすごい」ということが言いたかった。サノトモさんは「何か生まれ出てくるような感じ」って話していた。確かに、死のあとには再生があるに違いない。そう考えたらタイトルにも「再生」という言葉が入っていたことに気がついた。

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我々

我々(というバンド)のライヴを観に、青山(外苑前)の月見ル君思フ(というライヴハウス)に行った。聞いたことのないライヴハウスと思ったら、昨年10月にオープンしたばかりなのだそうだ。慣れない場所に行くこともあって友人の田中さんを誘って行った。場内に入ったところがテラスになっている。そこでもステージは良く見えるのだけれど、階下に降りたところがメインのフロアになっている。ちょうど演奏がはじまったところだったので、とりあえずテラスの空席に座った。テラス席にはわたしと田中さんのほかに2人しかいなかったけれど、メインのフロアを見下ろしても見えるところには2人しかいない。なんかちょっと緊張してしまう雰囲気。独りで来なくて良かった。

最初の出演者はパイナップル独りウェイという人のアコースティックギターの弾き語り。パイナップルフリーウェイというバンドの人だそうだ。しわがれたハスキーな声が印象的。力強い演奏だった。パイナップル独りウェイが終わったところでメインのフロアに降りてみると、ちょうどテラスの真下になっている部分が後部席、カウンター席になっている。後部席は人で埋まっていたけれど、空いていたカウンター席を確保。あいかわらずフロア中央部はがらーんとしていて寂しい雰囲気だ。

次は双葉双一。12弦アコースティック・ギターの弾き語り。今日は出演者/バンド5つのうち3つがソロのアコースティック・ギター弾き語りだったのだけれど、その中では一番独特のスタイルを持っていて印象的だった。ギター、ハーモニカ、唄のいずれもあまり抑揚をつけず淡々としている。意図的に感情的なものを廃しているのかなとも思ったけれど、自然な情緒感が感じられる唄には独特の味わいがあり、後のほうではだんだんノリを感じさせるようなギターのコード弾きもするようになっていった。

次はオカネモンプピー。アコースティック・ギター/ヴォーカル、アップライト・ベース/カズー/コーラスの二人組。ほのぼのしていてちょっとかわいい雰囲気もあり、なかなかしゃれた音楽だった。オカネモンプピーが終わったところで、演奏間にプロジェクターでステージのバックに投影されている映像が園子音の『自転車吐息』であることに気づく。音ははっぴいえんどが流れている。

そして次が我々。ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムの4人組。いつも高円寺の無力無善寺やU.F.O. Clubでライヴをおこなっている我々が青山でライヴというだけで意外性は十分だけれど、アコースティック系の出演者に混じって我々だけロックなバンド編成というのがまた妙な感じ。もっとも我々はどのようなバンドが対バンでも "なじむ" ということはありえない、とてもアクの強いバンドである。今日はドラムの須山さんが足をケガしてしまってキックなしでやるとのこと。場所の雰囲気もあるし、いつもとはちょっと違った感じになりそうだ。しかし演奏がはじまってみるとすごいパワフルなドラミングでびっくり。ヴォーカルの小松さんも、振り返って「(バスドラも)叩いてない?」と言うとドラムの須山さんがいやいや叩いてないと首を振るやりとりが観ていて楽しい。キックがない分いつもより手数が多くなっているのかもしれない。ドラムやヴォーカルに比べると川田さんのギターとアオウさんのベースの音が小さめな感じがする。ちょっと音がスカスカだったけれど、でもJazz ChorusのアンプにシングルコイルPUとメイプル指板のギターサウンドがとてもクリアできれい。無力無善寺のギターアンプだともっとくぐもった感じの音だったような気がするから新鮮だった。テンポの速い曲で手元が忙しそう。後のほうの曲では少しエフェクトがかったギターの音でスカスカな感じが解消されていたように思う。

最後はアコースティック・ギター弾き語りの宮腰理。CooDoo'sというバンドの人だそうだ。弦を何度も切りながらの迫真の演奏だった。今日の企画が「月街ロマン」と名づけられていることもあり、はっぴいえんどの曲を2曲カヴァー。それ以外にサンハウス、サム・クックのカヴァーとオリジナル曲を演奏していた。

終演後、我々のギターの川田さんに挨拶。「ふだんP.A.のないライヴハウスで演奏するのに慣れているから、自分の音が良く聴こえすぎちゃってやりにくかった」のだそうだ(小松さんもMCでそのようなことを話していた)。川田さんとしては弾き間違いが多くていろいろ反省点があるみたい。でも細かいミスは聞いているほうにはあまりわからないし、最初のほうはちょっと音がスカスカだったからもうちょっと大きな音で弾けば良かったのに、と話した。今日のライヴに出演することになったいきさつを尋ねたら、「小松さんが今日の企画の主催者の人と自主映画で共演したというつながりで出演することになった」とのこと。どおりで『自転車吐息』が上映されていたのにも納得。

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THE END OF THE CENTURY

シネセゾン渋谷でロードショー公開されているラモーンズのドキュメンタリー映画、『THE END OF THE CENTURY』を観た。ラモーンズはベスト盤を1枚持っている程度でそんなにファンというほどではないのだが、70年代半ばのNYパンクシーンには興味がつきないし、大好きなテレヴィジョンのライヴ映像も一瞬出てくるのだ。しかしそんな心持ちで観に来たことを申しわけなく思ってしまうような内容の濃い秀逸なドキュメンタリー映画だった。

映画は2002年のRock & Roll Hall Of Fame受賞式の模様からはじまり、その後はメンバーや関係者へのインタビューによりラモーンズ結成前からの歴史が丁寧に時系列で綴られていく。登場する人たちがみな、突っこんだ内容も含め実に自然体でインタビューに答えているのが印象的。特にジョニー・ラモーン(ギター)とジョーイ・ラモーン(ヴォーカル)との確執に関するエピソードは興味深い。バンド内で仲が悪いなんていうのは別に珍しくもない話だけれども、ジョーイのガール・フレンドのリンダがジョニーと恋仲になってしまい(その後もリンダとジョニーはずっと一緒だった)、それ以来二人は口もきかない間柄になってしまったこと、またジョーイの "The KKK Took My Baby Away" という曲はそのことを唄ったものだというのには幾分衝撃を受けた。バンド・メンバーにKKK(Ku Klux Klan)呼ばわりされながらその曲を一緒に演奏していたジョニーの気持ちを想像すると心が痛む。アルバム "End of the Century" のプロデューサーに抜擢されたフィル・スペクターにジョーイばかりが贔屓されたこと、80年代後半に脱退してしまったディーディーに代わって加入したC.J.がジョニーよりはジョーイになついたこと、ジョニーは保守的な家庭に育ったけれどもジョーイは左派のユダヤ人家庭に育ちリベラルな政治思想を持っていたことなど、二人の間の溝を示すエピソードは枚挙にいとまがない。

インタビューに答えるジョニーは気難しそうだけれども、ネガティヴな内容にも客観的な視点を持って答えようとする実直さがよく現れていた。アメリカ国内ではレコードの売り上げが悪く、ラジオにも相手にされなかったことを苦にしつつも、自分たちには他のものは何もないからただラモーンズを続けていくしかなかったとか、そんな話によってその時々の状況が生々しく呼び起こさせられる。2001年に癌で亡くなったジョーイ・ラモーンのインタビューもふんだんに挿入されるが、ジョーイに関しては本人よりも弟のミッキー・レイの出番が多い。ミッキーはラモーンズのローディもやっていたりしたようで、ジョーイを代弁するような立場でいろいろなことを語っている。強迫神経症を患っていた話などもあるけれども、バンドのフロントマンらしいジョーイの魅力的なパーソナリティがよく伝わってくる。2002年に亡くなったベースのディーディー・ラモーンや初代ドラマーのトミー・ラモーンのインタビューも興味深い。

最後はまたRock & Roll Hall Of Fame授賞式のシーンに戻る。亡くなったジョーイを除く出席した各メンバーのスピーチは、映画内のインタビューで見てとることができたそれぞれのキャラクターがあまりにも良く出ていて笑ってしまう。そしてスピーチの最後にジョニーが「ブッシュ大統領に祝福を」というようなことを発言。ジョニーが共和党を支持していたとはいえ、公衆の面前でわざわざそのような発言をするのは衝撃的だった(アメリカ合衆国ではそういうのが普通なのであろうことはわかるが)。そう感じた理由にはわたしの頭の中でどうしてもパンク=反体制というイメージがあることが否めない。しかし、そんなのはおめでたい表層的な考えにすぎないことをつきつけられてしまう。Rock & Roll Hall Of Fameの受賞はアメリカ合衆国がイラクに侵攻する前年だけれど、ジョニーはイラク侵攻が泥沼化した現在ブッシュ政権に対してどう思っているのだろうかとつい考えてしまうが、そういえばジョニーも昨年の9月に癌で亡くなったのだった。

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