青山ブックセンター本店でおこなわれた椹木野衣『戦争と万博』刊行記念イヴェント、「殺す・な博」に行ってきた。「殺す・な」というのは、イラク戦争の勃発と前後して美術評論家の椹木野衣や小田マサノリが中心となって結成された集団(?)。実際の活動については実はあまりよく知らない。たまたまメールマガジンで見かけた「殺す・な博」の案内には、「音あり光ありトークあり映像ありハプニングありの不定形万博鎮魂イベント」と書いてあり、2時間でなんと10人以上の出演者が載っている。どのようなイヴェントなのかさっぱり想像がつかなかったのだけれど、個人的には特に山川冬樹、伊東篤宏が観たいと思って足を運んでみた。
会場はふだんトークショーなどがおこなわれている部屋2つ。どう考えても大きな音で楽器演奏などするような雰囲気の場所ではない。メインの大きめの部屋(20畳ぐらい?)が <お祭り広場2>、その隣の小さい部屋(10畳ぐらい?)が <ネオ鉄鋼広場>。各部屋には出展者のそれぞれのエリアが割り振られ、パヴィリオンを出展している。出展者の振り分けは以下のとおり。
<お祭り広場2>
椹木野衣「戦争と万博の塔」
小田マサノリ「イルコモンズ生活館」
カスガアキラ「超気配主義館」
工藤キキ「万博鍋館」
田中偉一郎[安全爆弾]
点[グラフィック参加]
山本ゆうこ「山本・現代・映像館」
ヲノサトル「魅惑のムード音楽館」
<ネオ鉄鋼広場>
伊東篤宏「光と闇(病み)館」
宇治野宗輝「まわる電磁館」
山川冬樹「人体のふしぎ館」
ミュージシャンは15分ずつ区切られたタイムテーブルにしたがって登場。そのタイムテーブルにはトークショーも含まれている。2つの部屋を行き来しながら、いろいろな組み合わせのセッションが観られるように工夫されているわけだ。なるほど。
開演10分前ぐらいにたどりつき、とりあえず <お祭り広場2> で各パヴィリオンを観察。小田マサノリの展示を観たりカスガアキラの機材を眺めたり。山本ゆうこはホットプレートを持ち込んで鍋を作っている。正面のスクリーンでは工藤キキによるヴィデオ上映。キャプションによると宇川直宏の映像作品などが流れているらしい。映像を観て過ごしているとまもなく開演の3時になり、ヲノサトルのオルガン演奏がはじまった。この時間、隣の <ネオ鉄鋼広場> は山川冬樹のライヴなので早速移動。
山川冬樹は心臓の鼓動にしたがってたくさんの電球が点滅するようになっている機器を上半身裸の身体にとりつけ、ホーメイなどのヴォイスパフォーマンス、さらにはエレクトリック・ギターでフィードバックノイズを出していた。しかも弦をはじくことは一切せずに、両手でつかんだギターを思い切り振って音を出し、それをエフェクターで増幅させる。山川冬樹のこのパフォーマンスは去年「倍音闇鍋」という倍音Sとの企画ライヴでも観ているのだけれど、これは本当にすごい。激しい動きで心臓の鼓動とともに電球の点滅が速くなったかと思うと、息が止まっているかのようにしばらく電球が消えて真っ暗になってしまったり、あるいは数秒間点きっぱなしになったり。酸欠状態スレスレの緊迫感あふれるパフォーマンスは本当にスリリングだ。最初は人が少なかった <ネオ鉄鋼広場> にどんどん人が集まってきた。あっという間の15分が終わり、次は宇治野宗輝の出番。宇治野宗輝の機材の周りにはすでに人だかりができていてよく見えないので <お祭り広場2> に移動。こちらは小田マサノリ+カスガアキラのライヴ中。
小田マサノリのパヴィリオンは古い電気製品や印刷物などがところ狭しと並べられている。ネックだけのベースを弓で弾いたり、りん(仏具)をならしたりいろいろしていたけれど、それ以外に電気製品からも音が出ているみたい。カスガアキラは2台のラップトップPCとターンテーブルなどの機材で演奏。客に向けて置かれたTVモニターにはミニマルな四角形の模様が伸び縮みしている。二人ともそんなに大きな音は出さないので <ネオ鉄鋼広場> の宇治野宗輝の音と混じってしまって何をやっているのかよくわからないのだが、むしろそういう混沌とした状況を楽しむような雰囲気。
また15分があっという間に過ぎて、今度は小田マサノリ+ヲノサトル+椹木野衣の組み合わせ。ヲノサトルのムード音楽のようなオルガン演奏はこの混沌とした状態のなかでかえって異彩を放っている。椹木野衣はなんとギターを演奏。パヴィリオンにギターとベースが置いてあったから当然弾くのだろうと思っていたけれど、美術評論家としてしか知らなかったので意外だった。しかしちょっとノイズっぽい音を出してはすぐやめてしまったり。弾いている手つきもなんか恐る恐るといった感じ。ちょっとだけ観てすぐ <ネオ鉄鋼広場> に移動した。
<ネオ鉄鋼広場> では山川冬樹+伊東篤宏のライヴがはじまっている。伊東篤宏は蛍光灯が発生するノイズを増幅して音を出すoptronという装置の考案者。蛍光灯のスイッチをバチバチいじって点滅させて激しいノイズを撒き散らす。山川冬樹は先ほどと同様に鼓動で電球を点滅させつつ、ノイズに対抗してホーメイを響かせる。暗い部屋のなかで蛍光灯と電球の点滅、あとはわずかにアンプやエフェクターのLEDだけが光っている光景は、白熱した演奏にますます拍車をかけていく効果をもたらしているようで非常におもしろい。この組み合わせはなかなか相性がいいので、また別の機会にも共演してほしいと思う。
山川冬樹と伊東篤宏の演奏が終わり、その次の15分は <お祭り広場2> での椹木野衣vs小田マサノリ対談。小田マサノリは自身のパヴィリオンの展示物の多くは以前NADiffで展示をしたときのものであることや、伊東篤宏のoptronに習って蛍光灯(オプトロソという張り紙があった)のノイズをパチパチと鳴らし続けていることなど最初に説明。バックに流れている映像は1970年の大阪万博のドキュメント。椹木野衣は、「このようなイヴェントを思い立った背景には、前衛芸術家が多く参加していた大阪万博に比べて、今年の愛知万博ではアートが果たす役割がずいぶん少なくなってしまっているということがある。」と述解し、また第二次世界大戦時に戦争画を描いていた従軍画家のことに触れ、戦争と万博との関係について小田マサノリと話をした。しかし15分は本当にあっというま。「続きはまた最後のシンポジウムのときに」ということで対談は時間ぴったりに終了。
<お祭り広場2> の次の15分は椹木野衣+カスガアキラの組み合わせ。椹木野衣は今度はベースを演奏。指慣らしみたいな感じでたいしたことはないが、さっきのギターよりはずっと慣れた調子で弾いている。きっとバンドでベースを弾いていたことがあるのだろう(もしかしてわたしが知らないだけで現役?)。カスガアキラの発している音はミニマルな電子音が主体で、あまりメロディやキーに縛られることもないから合わせやすいということもあるかもしれない。
演奏や正面のスクリーンに上映されている万博映像を観て過ごしていたら、美術家の中ザワヒデキさんに遭遇。お会いするのは3年ぶりぐらいのことでとても嬉しかった。最近、映像作品をつくるためにネパールと上海に撮影に行ったとのこと。中ザワさんが映像作品とは意外なのだけれど、ご本人も映像はやる必然性を感じないと思っていたのだそうだ。それだけに一体どんな作品を構想しているのかまるで想像がつかない。いつか作品として日の目をみるときが来るのがとても楽しみ。中ザワさんとお話ししていた間も椹木野衣とカスガアキラのライヴは続いていたが、そこに山川冬樹がメガホンを持ってホーメイで乱入。さすがに電球はつけていなかったけれど。<ネオ鉄鋼広場> からは伊東篤宏のoptronのノイズが大音響で響いてくる。
次は <ネオ鉄鋼広場> に移動して山川冬樹+宇治野宗輝のライヴを観た。宇治野宗輝の演奏はまだ間近で観ていなかったからすぐ近くに陣取る。主要な機材はターンテーブルで、その上のレコードの数箇所に3センチぐらいで輪切りにした鉛筆が立てて貼り付けられている。レコードがまわると、ターンテーブルの上に覆いかぶさるように仕掛けられたスイッチみたいなものにあたってカタカタと音をたてる。あともう一つ、エレクトリック・ギターのボディと(ジュースをつくる)ミキサーを組み合わせた機器があって、仕組みはよくわからないけれど電気仕掛けでときどきバタンバタンと音がしていた。破壊的だけどユーモラス。アンプをなぜこんなにたくさん? というほど積み上げているのも、なんだかおもしろい。その頃 <お祭り広場2> では小田マサノリのライヴ。音を出しているのが一人だけだとわかりやすくていいかも、と思って最後のほうはまたそっちに移動。観客の質問の相手をしたり、りんを鳴らしたり、マイペースにやっていた。
その次の <お祭り広場2> は小田マサノリ+カスガアキラ。しかし椹木野衣と山川冬樹も乱入して混沌とした様相に。<ネオ鉄鋼広場> の伊東篤宏+宇治野宗輝の音も混じって小田マサノリとカスガアキラの出す音が一番目立たない。観るほうもだんだん疲れていて、もうそんなに観察力が残っていない状態なので、ひたすら混沌に身をまかせる。<ネオ鉄鋼広場> の様子はときどき正面のスクリーンに映し出されていたが、その映像は白黒で天井あたりから部屋全体を撮影している監視カメラ風。暗い部屋で激しく蛍光灯が点滅している様子は映像で観るのもカッコいい。そんなこんなでまた15分が経過し、最後のシンポジウムがはじまった。
シンポジウムの時間は30分とられていて、タイムテーブルではそのときはもう演奏は終わっている段取り。しかし<ネオ鉄鋼広場> では山川冬樹+伊東篤宏+宇治野宗輝による白熱したセッションが続いている。スクリーンにその様子が投影される中、椹木野衣+ヲノサトル+小田マサノリ+カスガアキラによるシンポジウムがはじまった(本当は伊東篤宏もシンポジウムに呼びたかったみたい)。
椹木野衣が「万国博覧会は、もともと戦争などと同じで国家の威力のようなものを世界に示すような意義をもって開催されていた」ということを説明。しかし現在ではその必然性が薄れていて、愛知万博がおこなわれるといっても、なんのためにやるのかよくわからないようなところがあるし、そのなかで芸術が果たす役割は(1970年の大阪万博に比べて)非常に少ない。カスガアキラは、生まれが1970年の大阪万博の年だったからその記憶は当然ないものの、中学生のときにおこなわれたつくば博には何度も通ったのだそうだ。浅田彰、ラジカルTV、坂本龍一による「TV WAR」が記憶に焼きついているとのこと。小田マサノリは「自衛隊をイラクに派遣するぐらいならそのかわりに毎年でも万博をやってもらったほうがまし」と皮肉めいた発言。椹木野衣の「もし数億単位のお金を提示されて万博への参加を要請されたらどうする?」という問いかけに、ヲノサトルは「万博会場の中に人を住ませるとか、公共事業みたいなことをやりたい」と発言。小田マサノリは「僕の作品にはお金はほとんどかからないし、そういう中でやっていくタイプではないから断る」ときっぱり。
大阪万博のときは、「太陽の塔」をつくった岡本太郎はもちろん、武満徹や具体美術協会など、日本の前衛芸術家もたくさん関わり、美術史上重要な意義を持った作品も少なくない。しかし、今日の出演者と当時の作家を比べるのはいろいろな点でかなり無理がある。それだけに一人一人の発言はおもしろくても、今ひとつ話が深まっていかないもどかしさがあった。そもそも愛知万博であまり芸術がとりあげられていないというのは、現在の状況をそのまま反映しているといってよいだろう。椹木野衣は美術評論家として、そのような状況に対しての何かしらの働きかけをしたいと考えているように思われた。まぁ、それはアートで生計を立てている多くの人にとっての根源的な問題と言えなくもない。
30分ほど時間が押したところで無理矢理収束。最後に椹木野衣が会場からの質問を募ると、反戦運動をしているという年輩の女性が発言。その女性はおそらく普段はマイナーなアートや音楽に触れたりしていなさそうなのだが、このイヴェントに感銘を受けたようだ。時間が押していたことを気にしていた様子でもあり、それに対する椹木野衣のレスポンスはなかった。というかどう受け答えしてよいものか困っていた雰囲気。わたしはというと、やはり場の雰囲気とはかなり波長の違う発言に戸惑ってしまったというのが正直なところ。後日、「もう一つの万博 - ネーション・ステートの彼方へ」という展覧会を企画しているキュレーター、渡辺真也のblogでそのことが触れられているのを読んではっとさせられた。わたし自身、社会運動関係者とのつきあいは今までにけっこうあるものの、それがなかなかうまくいかなかった苦い経験もある。
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