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JINJHOTI

高円寺の無力無善寺にJINJHOTIのライヴを観にいった。たどりついたときは日本人というバンドの演奏中だったが、一曲も聴かないうちに終わってしまう。次に出演したアコースティック・ギター弾き語りの豊福メイジ。使用していたギターはボディがずいぶん細くて、今までに見たことがない形状(もしかしてギターではない?)。淡々としていてちょっと力が抜けたような不思議な雰囲気の唄がいい感じ。ストラップ・ピンのところからシールドをつないでギターアンプから音を出していたのだけれど、単音を奏でるときはくっきりとした音色、たまにコードを掻き鳴らすときはちょっと割れて歪んだギターの音色とあいまって独特の雰囲気を出していた。

その次は再び日本人が出演。曲によってキーボード、エレクトリック・ギターの弾き語りをする女性を中心としたユニット。前半は中心の女性がキーボードで弾き語り、それに合わせてほとんど弾いているのか弾いていないのかわからないギター、上モノっぽく軽く曲に味付けをするドラムという編成。後半はその中心の人はギターを弾き語り、それまでギターを弾いていた人がキーボードを演奏。中心のヴォーカルの人ばかりが元気でテンション高いのだけれど、全体としてはかなり辛い演奏。しかし妙にあっけらかんとしたヴォーカルの人のインパクトは今思うとなかなか強力だった。

そして最後がJINJHOTI。JINJHOTIはギタリストの大槻さんがタブラ奏者の人とやっているインド音楽の即興ユニット。ずっと昔に大槻さんと知り合うきっかけを作ってくれた田中さんがパーカッションで参加し、3人組でのライヴ。ドローン風の効果音を小さい音でバックに流す中、大槻さんが鳥の鳴き声のような音を出す笛を演奏してライヴがはじまった。断続的に挿入されるチベタン・ベル他のパーカッションの音色で広がりのある自然の光景を演出。しかしライヴの緊張感のせいか、ちょっとせかせかした感じもする。しばらくしてから大槻さんは笛をマンドリンに持ち替え、タブラもそれに追随してセッションぽい演奏がはじまった。マンドリンはベース音と同時にインド音階風のメロディを掻き鳴らすようなコードカッティング。時折メンバーそれぞれ「アー」という感じで声を入れて盛り上げているが、マイクのハウリングする音が出てしまっていてちょっときつい。誰のマイクがハウっているのか良くわからなくて、いろいろ向きを変えたりしながらの演奏でちょっと落ち着かない。

マンドリンでのセッションが一段落したあとは、タブラのソロを少しはさみ、大槻さんは今度はギターを演奏。おもに単音でゆったりとしたメロディラインを奏でる。それにタブラが加わり、次第にコード弾き中心のパターンへと移行。その後は思い切り歪ませた音色で、エキゾチックなメロディラインを演奏。タブラによる変則的なリズムパターンに合わせて弾くことで、ギターのフレーズもまた変わったものが生まれてくるといった感じ。最後のほうはキメのメロディらしきものを反復。ここまで一区切り20分強のセッションだった。

本人たちはここでライヴ終了のつもりだったみたいだけれど、アンコールに応えてもう一セッション。今度はギターはあまり歪ませない音でアルペジオ混じりのコードをゆったりと奏でる。最初のセッションほどインド音楽を意識したものではなくて、もっと素直にフォーキーで柔らかい曲調。即興の唄も優しい感じだった。そのうちギターは単音弾きになり、静かな雰囲気のままタブラとのセッション。パーカッションは前半に比べるとだいぶ音数が少なめ。だんだんギターがリズムをはずしてどんどん自由に弾くようになっていき、パーカッションも自由なリズムで盛り上げて混沌とした雰囲気になっていくが、最後はばっちり決まってぴたっと終わった。後半のセッションは10分弱。

演奏は全体的にちょっとせかせかした感じ。その場その場を切りとってみればそれぞれの演奏は良かったけれど、全体として流れを気持ちよく感じられるような状態には至らなかったという気がした。ただ気持ちが良いだけの即興というのもつまらないものだと思うけれど、ライヴに慣れていないがゆえの落ち着きのなさを感じてしまったのは否めない。もう少しじっくりと一つ一つのパターンのなかでの変化も聞かせていくような感じにすると良かったのではないかなと思う。しかし残念なことに、大槻さんがこれから数年は実家の九州に戻ってしまうので、また今度いつライヴを観られるかわからない。

終演後は先日ライヴを観たVoyagesのドラムのKen-ichiさんや、田中さん、大槻さんの友人とお話し。終演時間も遅かったので特に場所を移動することもなく、それがそのまま打ち上げという状態だった。古い友人の消息を知っている人がいたり、初対面の人ともかなり濃い話がはずんでおもしろかった。

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背徳映画祭

「背徳映画祭」を観に下北沢のLA CAMERAへ。最初のAプログラムは以下の5作品。

吉雄孝紀『25.5cmの』(2003年/15分/DV)
伊藤隆介『パタ、パタ』(2004年/10分/DV)
鎌田大資『背徳合宿』(2005年/30分/DV)
清水真理『聖女懐妊』(2001年/15分/DV)
しまだゆきやす『帝都、萌え。』(2005年/10分/DV)

吉雄孝紀の『25.5cmの』は、札幌で定期的に自主映画の上映活動がおこなわれていたまるバ会館を舞台に、吉雄さん自身が出演している作品。見知らぬ若い女性が劇場内の25.5cmの隙間から現れて、吉雄さん8ミリで撮影したり、撮影したフィルムを一緒に見ようと誘ったりする。一度は行ってみたかった在りし日のまるバ会館の様子を伺うことができて嬉しい。まるバ会館やそこでおこなわれていた上映会、映画に対しての愛が伝わってくるような、吉雄さんらしいおおらかな作風に心温まるものを感じた。それはまるバ会館の支配人であった吉雄さんの自己愛みたいなものとも言えるのだけれど。まるバ会館に対する素敵なオマージュ作品ということで、むしろ背徳な印象からは程遠い作品。

伊藤隆介の『パタ、パタ』は、まるバのウェブサイトの掲示板で山崎さんが言及していらしたのを目にしていたこともあって注目していた。パンフレットには伊藤隆介自身の身の上(?)にまつわるヘヴィな出来事についてかなり赤裸々な文章が書かれている。その内容を踏まえて観るべきなのか、あまりそれは気にせずに観るべきなのか。それは無視するには相当ヘヴィな内容だ。作品からにじみ出てくるのは、こうするしかなすすべがないという、あきらめたような力のなさ。それがまさに作家の置かれていた状況そのものだったとするならば、なんとも言えなくやるせない気分にさせられる作品である。

鎌田大資の『背徳合宿』は、大学の先生が自身のゼミ合宿の模様を収めたセルフ・ドキュメンタリー。TVのヴァラエティ番組的なノリでダラダラと進行。

清水真理の『聖女懐妊』は、劇団「ロマンチカ」に所属していた女優、原サチコが渋谷のル・デコでおこなったパフォーマンスで使用するために制作されたものだそうだ。原サチコが出演している部分は、ロマンチカらしい毒々しい美学に彩られたエログロ映像。しかし独立した映像作品として見せるには、その美学が生きるような編集なり映像効果を施すなど、もう少し工夫が欲しい気がする。作品の冒頭と最後に挿入されるアニメーション部分は秀逸。実はこの作品は去年の「夜想リターンズ」展のオープニング・イヴェントでも観ている。その時は他に何本か清水真理のアニメーション作品が上映され、それらはいずれもすばらしいものだった。でも、この『聖女懐妊』はちょっといまいちだと思う。

しまだゆきやすの『帝都、萌え。』の始まりは都内の立派な建物などの静止画カット。大部分は高円寺の骨董品屋「スピカ」店内で撮影された映像で、メイド服姿の女性やスピカ店主が登場。丁寧に撮影されたカットの集積で構成され、けっこうまったりとした雰囲気の作品。耽美的なセンスとオタク趣味が混在し、しまださんらしさが発揮された作品だなとは思うのだけれど、パンフレットに載っている饒舌な文章を読むだけでもおなかいっぱい。うん、わかった、と思って観てしまってそれで終わりというのではつまらないのだけれど、文章の饒舌さが映像に勝ってしまっていたのは否めない。

Bプログラムは以下の4本。

宮崎淳『PLASTIC TEAR』(1995年/5分/16mm<ビデオ版>)
袴田浩之『背徳の音』(2005年/20分/DV)
寺嶋真里『天使の赤い臍』(2004年/32分/8mm<ビデオ版>)
村上賢司『背徳コンクラーベ』(2005年/20分/DV)

宮崎淳は去年カンヌ映画祭の監督週間「若い視点賞」を受賞している。『PLASTIC TEAR』について、パンフレットに書かれていた文章によると「妻の友人にわざわざ連絡をつけてヌードを撮っているから背徳」とのこと。それは個人的には理解不能(別に意味不明ではないけれどその考えかたは甘いと思う)なのだけれど、白黒のシャープでスタイリッシュな映像がカッコ良かった。

袴田浩之の『背徳の音』は、落ち着いてきちっと撮影された映像によって構成されたサイレント作品。列車の車窓からの風景に、なめるようにゆっくりと移動するカメラで捉えた女性のヌード。最初のほうはそれらが交互に繰り返されるが、次第に外の景色の画の中に文字が挿入される(意味ありげな英単語、あるいは単純な数式や円周率の繰り返しなど)。中盤ではふいに屋内で首吊り自殺をしているカットが挿入される。その後は風力発電のプロペラがまわるだだっ広い草原や、不思議な形の流木が打ち上げられた浜辺などの印象的な風景。最後のほうでは森の中でカメラを振り回して撮ったような、横に流れ続ける緑がほとんど抽象的な模様と化した映像。作品全体を支配するなんとも言えないダウナーな雰囲気はけっこう好みなのだけれど、正直なところいまいちつかみどころがない。深読みするのであれば、作品に対峙しようとする観客の視点に対しての背徳ということなのか?

寺嶋真里の『天使の赤い臍』は、耽美的な映像センス、テンポの良い構成、出演者のキャラクターなど、がっちりと作りこまれた作品。あまりにも女性的な、というか女性性というものをさらけ出すような生々しさをモチーフにしながら、丹念な編集でつなぎ合わせた多彩なシーンには耽美的なイリュージョンが凝縮されている。古いお屋敷の中で撮影されたシーンなどとても美しいのだけれど、観る側にうっとりさせるような隙を与えることなく怒涛の勢いで毒を放つ映像に圧倒された。ちょっと慌ただしい感じもするぐらいの執拗さもまた女性的という感じがする。それは自分にとって近しいものというよりはあまり触れたくない、触れられたくないものとでもいうような。最後のスタッフロールで「撮影 山崎幹夫」のクレジットが出て「おおっ」と思う。今回上映された他の作品に比べると、しっかりとしたスタッフワークや役者に支えられた大掛かりな印象を受ける作品だった。

最後は村上賢司の『背徳コンクラーベ』。4部構成になっていて、一番最初は自転車に乗りながら夜間撮影したらしい映像。村上さんの作品にしてはおとなしい、と思いきやその後は村上節全快。自身が生まれ育った高崎の実家、中学在学時の通学路を舞台に、手持ちカメラで歩き回りつつナレーションで笑いをとる。最後の第4部で「背徳の○○」と叫びながら自転車を全速力で飛ばすところは圧巻。上映終了後、みんな(というわけでもないけれど)目に入るものいちいち「背徳の椅子」だとか「背徳のまんじゅう」だとか言いあって大いに盛り上がっていたのがおかしかった。

上映終了後の打ち上げでは袴田さんとお話し。袴田さんとはその前の週の山田勇男さん、山崎幹夫さんの上映会のときにはじめてお会いした。袴田さんは浜松在住でシネマ・ヴァリエテという実験映像集団を主宰している。山田さんや山崎さんの映画の上映会も何度か開催しているとのこと。浜松には最近LUCREZIAというライヴハウスができて、そこでの映画の上映会も企画しているのだそうだ。LUCREZIAについては、わたしが良く観に行くバンドも良く出演しているので噂には知っていた。なので音楽の話を振ってみたら、Che-SHIZUやみみのことなど好きだと言う。三上寛の東海地方の公演を手配したりもしているそうだ。「浜松と言えばUP-TIGHTだよね」って話したら、メンバーとかなり親しいようで、わたしがその手の音楽を良く聴いていることに驚いている様子だった。わたしもすごくびっくり。LA CAMERAでは本当にいろいろな出会いがあっておもしろい。

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虚空夜 ~クレプシドラ・サナトリウム~

ザムザ阿佐谷に三日月バビロンの旗揚げ公演「虚空夜 ~クレプシドラ・サナトリウム~」を観に行った。今回の演目は、窪田さんのblogによると「基本的には三日月少年時代の「コクーヤ ~水時計サナトリウム~」の再演」とのこと。わたしはその公演を観逃してしまっているのだけれど、劇中に山崎幹夫さんによる8ミリフィルムの映像が挿入されるそうで、今回はじめて観られるのが嬉しい。もっとも、劇場の受付で配布されるパンフレットには「オリジナル最新作」と書かれている。劇団名を変更し、脚本も今回の公演に合わせて手を入れたということなのだろう。

舞台は宇宙に存在する病院の小児病棟。主人公である姉弟の少女ルカ(狩野夏妃)と少年トト(古瀬木日華)はそこで仲良く暮らしているが、ルカはやがて生理を体験し、大人になっていく。ルカとはなればなれになるのが嫌なトトは、ルカを鳥かごにとじこめ、鍵を飲み込んでしまう。しかしその過程にはいろいろなシーンが交錯し、ストーリーはそう単純なものではない。その後のシーンで、ルカを演じていた狩野夏妃さんがトトを守る兄のような役柄で登場するに至ってはストーリーを追うことすら困難。看護婦ヨワ役の梅原真美さんが輝夜姫として登場する場面は、この複雑なストーリーを紐解く説明的な意味合いを持つ部分と言うことができるかもしれないが、それですべてが風通しよくわかりやすく提示されるというものでもない。

ところどころ、山崎さんが8ミリフィルムで撮影したルカの姿が、鳥かごを模した舞台中央のセットの中に投影される。つまり、映像によって表現されているのは鳥かごに閉じ込められたルカというわけである。最初はなぜあんなに低い位置に映写するのだろうと思ったのだけれど、つまり鳥かごの中のルカと、実際にステージで演じている役者がちゃんと舞台で対峙するようになっているのだ。なるほど。映像だけでなく、初潮を表す赤い靴など、小道具の一つ一つもストーリー的な必然性を持ったものとして象徴的な使われかたをしている。そのあたり、さすが作・演出の櫻木バビさんの耽美的で想像力豊かなセンスがすばらしい。

櫻木バビさん作・演出の芝居は今までにいくつか観てきたが、今まで観たものは正直なところ脚本の凄さと少数の役者がきわだっていて、脇役の役者の演技に不満を感じることが多かった。しかし、今回の公演は役者の全体的なレベルがかなり上がっていたと思う。母親であるガイヤ役のかやべせいこが特に良かった。去年の三日月少年名義の公演「憧瑠」でも重要で印象的な役柄を演じていたが、今回は非常にテンションの高い役柄で、演技の上手さが光っていた。看護婦セロを演じるメイドコスプレ風(?)衣装のヨウコも、最初はその衣装を見て一瞬引いてしまったけれど、とてもいい演技をしていたと思う。ドクトル役の石川秀樹は、別のプロダクションに所属している役者さんみたいだけれど、マッド・サイエンティスト風でおもしろくて良かった。

狩野夏妃さんがすばらしいのは言うまでもないのだが、最初のほうの無垢な少女を演じている場面はちょっと厳しいと感じた。オリジナルの「コクーヤ ~水時計サナトリウム~」上演時は良かったのかもしれないのだけれど。後半、トトを守る少年役として登場して以降の演技は本領発揮。やはり狩野夏妃さんは凛々しい力強い演技のほうが似合う。しかし最後のほう肝心のストーリーがいまいち飲み込めていない。後半で狩野夏妃さんが演じている少年と大人の女性になったルカとの関係は? 最後の場面はトトの姿が投影される映像の中に狩野夏妃さんが入っていき、狩野夏妃さんの衣装に重なって投影される映像のトトが狩野夏妃さんを抱きしめる。とても美しく印象的なエンディングだった。

今日は山崎さんはneoneo坐の上映会で映写をしているため、代わりに野田さんが映写を担当されていた。野田さんにはついこないだLA CAMERAの山崎さん、山田さんの上映会でもお会いしたばかり。「今日はこれからまたLA CAMERAに背徳映画祭を観に行くんですよ」とお話しすると、「いいですねー。」とおっしゃるので、「一緒に行きましょう」とお誘いしたら、ソワレの公演にも立ち会うので行くことができないとのこと。ソワレの映写には山崎さんがいらっしゃるそうなのだけれど。それにしても野田さんは今回1回だけの映写担当であるにもかかわらず、タイミングは完璧だった。ストーリーが複雑な上に、映写されるシーンは数秒ずつの細切れだから、少しでも間違えたら大変なことになる。本当にお見事。場内では看護婦ヨワ、輝夜姫役の梅原真実さんともお話しすることができた。そのときはごく手短な感想を伝えることしかできなかったけれど、機会があったらまたストーリーのことなどもいろいろ聞いてみたいなと思う。

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Damon & Naomi with Kurihara

今日もLA CAMERAで映画の上映会。しまだゆきやすさんが企画した「背徳映画祭」の一環で、しまださんの旧作を一気に6本上映するプログラムを観た。上映作品は『ケーフェイ~偽の妹』『MIDORI』『妹とブルックナー』『rain』『お化けトンネル』『向島の女』。前半3本は8ミリフィルムによる作品で、後半はデジタル・ヴィデオによる作品。しまださんの映画は、今回の上映作品以前の古いものを数本観たことがある。

前半で上映された8ミリ作品は、しまださんのちょっとオタクっぽさが入った耽美趣味の映像がとても美しい。しかし、近親相姦を匂わせるような兄と妹の関係といったモチーフがありきたりな感じもする。また、妙に作りこまれた力み具合がかえって作品を壊してしまっているような気もする。一方後半で上映されたヴィデオ作品は、その力みが抜け落ちてむしろ観やすい雰囲気。しまださんが、ヴィデオで制作するのってどんな感じなんだろうなどと思いながら、いろいろ手法を試している息遣いが伝わってくるような感覚があって、おもしろかった。

それから夜はDamon & Naomi with Kuriharaのライヴを観に渋谷O-NESTへ。上映会がけっこう押したので時間ぎりぎりになってしまったけれど、ライヴはまだはじまっていなかった。場内で川田さんを発見し、一緒に一番前に陣取る。場内はそんなに混んでいなくて、フロアの前のほうの客は床に座っている。O-NESTはステージの高さが50センチくらいはあるので、思い切り見上げるような体勢だ。

最初に出演したのはテニスコーツ。客席が明るいうちから植野隆司がステージでギターを独奏していて、さや(ヴォーカル/キーボード)、フルート/コーラスの人、ドラムの人がステージに登場し、そのまま本番がはじまった。テニスコーツのライヴはそのときによって全然違うのだけれど、今回のライヴはさやの物憂げなヴォーカルの唄モノ中心。楽器の音はそんなに前に出ることなく、唄に合わせてそっとつっかえながらついていくような感じ。植野隆司は曲によってはテナー・サックスを吹いていた。

次が三上寛。こないだ観たときはアンプラグドのアコースティック・ギターだったけれど、今回はGretchのエレアコ。来日アーティストの前座ということで、普段とはかなり違うであろう客層を前に白熱した演奏。地べたに座って食いつくように観ている客に向かってじゃかじゃかとギターを掻き鳴らし、曲が終わるごとに「ありがとうございました」を極端に短縮して最後の「たー」だけになったような(?)かけ声を挙げる。三上寛のライヴは良く観ているけれど、今日のライヴはいつになく力がみなぎった演奏。前座ということで時間が短いせいか? いつもはどちらかというとしみじみとして聴き入ってしまうのだけれど、この日のライヴはなんだか力をもらったような感じがした。テニスコーツも三上寛もそれぞれ30分くらいの演奏だった。

そしてDamon & Naomi with Kurihara。デーモン(ヴォーカル/アコースティック・ギター)、ナオミ(ヴォーカル/ベース/キーボード)、栗原ミチオ(ギター)、そしてアルバムに参加しているBhob Rainey(ソプラノ・サックス)の4人がステージに登場。デーモンが客席に「コンバンハ」と語りかけてライヴがはじまった。1曲目はVashti Bunyanのカヴァー「Winter is Blue」。ナオミがヴォーカルをとりながらメロディアスなベースラインを奏で、デーモンがアコースティックギターを弾き、サビではコーラスをとる。曲の終わりのほうでは栗原ミチオのギターとBhob Raineyのソプラノサックスの音色が優しくかぶさる。元曲を知らないのだけれど、とてもおだやかでピースフルな演奏。そして2曲目は三上寛と友川かずきに捧げられた「Ueno Station」。哀愁を帯びたデーモンの唄が心に沁みる。次の「House of Glass」はうってかわって、ナオミの透明感のある優しいヴォーカルに包まれる。最後のほうでは一気に曲を盛り上げていく栗原ミチオのギターソロが気絶しそうなぐらいすばらしかった。次の「Turn of the Century」では再びデーモンがヴォーカル。

ここで馬頭將噐(アコースティック・ギター)が加わり、アルバム「Damon & Naomi with Ghost」収録の「The New World」を演奏。馬頭將噐のギターはアルバムで聴くとおりのライン。しかしちょっとあやうい感じの演奏だった。馬頭將噐はここまでのDamon & Naomiのツアーには参加していなかったし、リハーサルがあまり十分ではなかったのかも、と思う。そして次は栗原ミチオのソロアルバム収録の「The Wind's Twelve Quarters 」(「風の12方位」)。デーモンは、ナオミが「half Japanese, half english」で唄うとMCで話していた。この曲はアルバムでは朝生愛が歌っているが、もともとは栗原ミチオがギターで参加しているThe Starsで演奏されていた曲。The Starsで石原洋が唄っていた英語詞と、朝生愛の日本語詞を混ぜてナオミが唄う。しかし、自身の曲のわりには栗原ミチオのギターがあまり目立たなかったのが残念。一方でBhob Raineyのソプラノサックスはナオミのヴォーカルとかけあいをするような感じで終始ムーディなメロディを奏でていた。ナオミの日本語は見事。一音節ずつそっと発音する慎重な唄いかたは、外国人らしいと言えばそうなのだけれど、言葉が聴き取りづらいところもないし、どことなくはかなげな感じが心にひっかかってきてとても素敵。英語詞を唄うのは主にサビの部分で、そこではデーモンがコーラスを入れていた。

次はアップテンポな「Beautiful Close Double」。デーモンが弾くギターのザックザックと力強いコードストロークと、栗原ミチオのアルペジオを織り交ぜた美しいメロディラインが印象的。そして次はGhostのカヴァー「Awake in a Muddle」。Damon & Naomiのアルバム「Playback Singers」に収録されているこの曲をまたライヴで聴くことができて嬉しい。それに続く「A Second Life」は、栗原ミチオの嵐のように激しいギターソロ、そしてそのソロの上にさらに優しいナオミのヴォーカルが重なって曲を盛り上げていく。

そして最後の曲と言ってデーモンが紹介したのがカエターノ・ヴェローゾの「Araca Azul」。「英語ではblue guava」という説明は前回の来日時のMCにもあったと思う。デーモンは一曲一曲とても丁寧な曲紹介をするのだけれど、この曲の説明は特に長め。ライヴ中盤はずっとナオミのメイン・ヴォーカルの曲が続いていたけれど、この曲はデーモンがヴォーカルをとった。どこか遠くから聞こえてくるような、静謐ではかない感じのする元曲とは全然違っていて、ギターのコードに乗せてしっかりとした声で唄う。MCではimposibilityとか話していたと思うけれど、デーモンのヴォーカル、ギターに力強さを感じた。唄が一段落したところから栗原ミチオのE-bowを使ったギターの音でつなげて曲は「The Earth is Blue」へと移り変わる。この流れは崇高で美しく、本当に宙高く舞い上がっていくようだった。アルバムと同じ展開だけれどライヴで聴くのはまた格別。栗原ミチオのギターの音色の豊かさに圧倒された。

ここでメンバーはステージをいったん退場。しかしそんなに間を置くこともなく、すぐにアンコールがはじまった。アンコール1曲目はGalaxie 500の「Blue Thunder」。でもGalaxie 500のヴァージョンとは全然違うメロディの唄い出し。このときは曲紹介もなく演奏がはじまって、最初は何の曲だかわからなかったほど。2度目の来日公演(渋谷クラブクアトロ)のアンコールでこの曲を演奏したときはGalaxie 500ヴァージョンとほとんど一緒だったのだけれど。Galaxie 500の曲の中でも人気の高い曲だし、今回このようにリアレンジして演奏するのは、単なるサービス精神で演奏しているわけではないという意思表示みたいなものもあるのかなと思う(深読みしすぎ?)。栗原ミチオのボトルネック奏法も、曲に新鮮な味わいを加えていた。続いてジャックスの「遠い海へ旅に出た私の恋人」のカヴァー。再びナオミが日本語で唄う。3度目の来日公演(吉祥寺スターパインズカフェ)ではじめて聴いたときは驚愕したけれど、いまやすっかりDamon & Naomiのライヴでおなじみの曲。栗原ミチオのギターのアレンジもほぼ毎回固定。この曲ではデーモンも日本語でコーラスをとる。

メンバーがステージを去り、BGMが流れはじめた。しかし拍手が鳴り止まず、2度目のアンコール。曲はアルバム「Damon & Naomi with Ghost」に収録の「Tanka」。少ない音数でゆっくりとはじまり、だんだんと即興的に演奏される音が隙間を埋めていくこの曲は、やはりライヴで聴くのがすばらしい。ステージに馬頭將噐、栗原ミチオもいてこの曲を聴くことができるのはGhostファンとしても非常に嬉しい。

これでライヴ終了。1時間半弱、たっぷり楽しむことができた。選曲は去年のMANDA-LA2公演とだいぶ重なっていたけれど、今回のほうが演奏は全体的に良かったと思う。今回はデーモンとナオミも立って演奏していて、バンドっぽくてカッコ良かった。終演後、機材を片付けに出てきたメンバーに話しかける客も数人いて、わたしもチケットの裏にデーモンとナオミのサインをいただくことができた。

今回はじめて観るソプラノ・サックスのBhob Raineyは、わりとムーディでオシャレなフレーズを上モノ的に入れているのが栗原ミチオのギターとかぶってしまうこともあり、Damon & Naomi with Kuriharaの3人の完成された世界のなかでちょっと浮いて聴こえてしまう場面もあった。静かめの曲では、栗原ミチオの柔らかくて夢見心地なギターの音色とモアレ状にからまって、なんともいえない良い雰囲気を醸し出していたが、ダイナミックにギターソロを弾くような場面だとソプラノ・サックスによる細やかなメロディが邪魔に聴こえてしまうときもあった。最新アルバムで聴くホーン入りのサウンドは、ちょっとゴージャスな感じがしてとても気に入っていたのだけれど、単音しか出すことができない管楽器1本ではアルバム同様というわけにはいかないのだろう。同じく最新アルバムに参加しているトランペットのGreg Kelleyも一緒に来日してくれていたらまた違う印象だったかもしれない。馬頭將噐は5曲目の「The New World」以降は全曲参加していたけれど、あまり目立たなかった。でもGhostファンとしては馬頭將噐がステージ演奏する姿を観ることができて嬉しい。この日の帰りのエレベータで、たまたまGhostのキーボーディスト、荻野和夫さんと乗り合わせて少しお話することができた。

そして4日後の6月23日、NHK-FM LIVE BEATの収録で、再びDamon and Naomi with Kuriharaのライヴを観た。開演の7時ぎりぎりに会場に駆け込んだときには、すでにかなりの人が前のほうに陣取っていたが、ほとんどはもう一つの出演バンド、ムーンライダーズのファンだった様子。Damon & Naomi with Kuriharaの出番が先。この日のデーモンの最初のMCは「ゲンキデスカ?」。セットリストは初日から「Turn of the Century」「The New World」「Tanka」をのぞいた選曲で、通して1時間強の演奏だった。「Ueno Station」でデーモンが曲紹介の中で「演歌」という言葉を放ち、しーんとして聞いている客席の反応に次の瞬間「スミマセン」と話していたのが印象的。「Blue Thunder」はかなり最初のほうで演奏して、デーモンは「Very old song」と紹介していた。ナオミが日本語で唄うジャックスの曲は、曲紹介なしに前の曲に続いてすぐはじまった。ムーンライダーズ・ファンの客は、ナオミが日本語で唄うのを聴いてびっくりしたのではないだろうか。本人たちもそれを狙って、わざと曲紹介なしに続けてやったのかもしれないなどと考えたりして観ていた。

この会場は段差がまったくないので、ほとんどステージが見えなかったのが残念。それに曲によっては音のバランスもあまり良くなかった。ステージが広すぎて音があまり混ざらないから、アコースティック主体のバンドの中で栗原ミチオが弾くエレクトリック・ギターの音がちょっと浮いて聴こえてしまう場面もあり、特に「A Second Life」のソロでは栗原ミチオのギターの音が大きすぎたと思う。でも、それに負けじとデーモンが激しくギターを掻き鳴らしていているのが、見えなかったけれど、音で良くわかったし、熱気がとても伝わってきた。どちらかというと静かめの曲のほうがこの会場にはあっていたみたい。最後の「Araca Azul ~ The Earth is Blue」は本当に美しくて感動的だった。

ムーンライダーズのときは急に音が大きくなってびっくり。というかDamon & Naomi with Kuriharaのときは全体的にやたら音が小さいと思った。収録だから爆音での演奏はそぐわないだろうし、彼らのサウンドは小さい音でも十分に魅力的なのだけれど、アコースティックの楽器の音やヴォーカルももう少し大きく出していれば、もっといい感じのバランスになったのではないかと思う。放送では問題ないだろうけれど。

ムーンライダーズのライヴを観るのははじめてで、曲はあまり知らないけれど、それなりに楽しみにしていた。しかし、なにしろステージがほとんど見えないのが辛い。しかもヴォーカルの鈴木慶一(曲によっては別の人がメイン・ヴォーカルをとっていたようだが)は座って演奏。最後のほうになって立って演奏し、やっと頭が見えたという状態だった。ドラムは本来のメンバーのかしぶち哲郎ではなく、カーネーションの人がヘルプで入っていたのだけれど、とても良かった。ベテランのバンドらしいマイペースぶりで和やかな雰囲気だったし、曲もちょっとおもしろい感じ。でも、できれば全盛期に観ておきたかったと思った。

6月24日のDamon & Naomi with Kuriharaの日本公演最終日(渋谷O-NEST)は、どうしてもはずせない仕事があって、会場到着は9時半過ぎになってしまった。最初からそうなることはわかっていて、でも最終日の公演だし何かスペシャルなことがあるかもしれないと思ってチケットを買っていた。場内に入ったときは「Araca Azul ~ The Earth is Blue」の演奏がはじまったところ。着いたばかりであまり落ち着いて聴くことができなかったけれど、本当にこの曲の演奏は美しい。

ここで本編終了。ドリンクをもらい、観やすい場所へ移動。前のほうの客は床に座っているので、場内の段差のところまで出て行くととても良く見えた。1回目のアンコールはなんと三上寛との共演。三上寛が最初に「船頭小唄」を唄い出し、そのバックにそっと伴奏が入ってくる。演奏は「Ueno Station」。2番を引き継いでデーモンがオリジナルの歌詞を唄う。そのようにして交互に唄い、サビでは三上寛がかすれるような叫び声を上げ、言葉を吐き出す。ところどころナオミもコーラス。ナオミと三上寛が一緒のマイクで唄っている姿はあまりにもレアな光景。たくさんの声が交錯し、カオティックな様相を帯びたすさまじいステージだった。

2回目のアンコールはGalaxie 500のカヴァー、「Blue Thunder」。ここで一気に静かなDamon & Naomi with Kuriharaの世界に引き戻される。ナオミが弾くベースラインはGalaxie 500のヴァージョンとほとんど変わらないけれど、Bhob Raineyのソプラノ・サックスの穏やかな音色がピースフルな雰囲気を醸し出す。栗原ミチオのボトルネック奏法のギターは、控えめだけれどうっとりするような美しい音色。

これでライヴは終了。前のほうで観ていた伊藤さんと落ち合う。この日のライヴは、前座は初日のO-NESTと同じなのだけれど、テニスコーツに栗原ミチオがゲストで参加したのだそうだ。見逃して悔しいけれど、その組み合わせだったらまたいつか観られる機会があるかもしれない。終演後、今日はちゃんとCDとサインペンを持ってきていたので、栗原ミチオ、ナオミ、デーモンにまたサインをしていただく。他にGalaxie500のDVDにサインをいただいている人もいた。その人は、大阪公演も観に行ったのだそうだ。

最終日は、わたしが来るより前に「The Robot Speaks」や「Song to the Siren」も演奏していた様子。できれば最初から観たかったけれど、三上寛との共演に間に合って本当に行った甲斐があった。「船頭小唄」、デーモンがMCでそのように話していたにも関わらず、ライヴで観ていたときはそれだと気がつくことができず、そうしたらあとで伊藤さんが歌詞を検索して野口雨情作詞だと調べてくださった。伊藤さんも「三上寛良かったね」という反応だったので嬉しい。

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はづかしさと 夢と ひかりと

山崎幹夫さんの新作プログラムに引き続き、LA CAMERAで山田勇男さんの新作プログラムを観た。8ミリフィルムの作品が2本。

1本目は『Chrysanthemum綺想』(8ミリ/カラー/20分)。これまでも山田さんの映画によく登場している服部さんをただひたすらに撮影した映画。たくさんの花が咲く草の上に横たわった服部さんが黒いタイツ、黒い靴をはいた足を上下させている映像からはじまる。その後は服部さんが手にした花で顔をなでたりする映像が続く。カメラはかなりのロングショットでじっくりと服部さんを捕らえている。以前の映画ではもっと恥ずかしそうにして映っていたようにも見えた服部さんが、おとなっぽく堂々とした仕草をみせていた。その姿はそんなに綿密につくりこんだものというわけでもなくて、たぶん素の服部さんそのままだという気がする。すごく可愛らしくて、山田さんの映画に合っていると思う。キレイな映像にうっとりしてしまった。

そしてもう1本は『はづかしさと 夢と ひかりと』(8ミリ/カラー&モノクロ/60分)。山田さんの作品としては久々の長編である。パンフレットによると「『十六歳の少年の顔』という大手拓次の詩からインスパイヤされた」のだそうだ。主役は、いったいどこから見つけてきたのだろうと思うぐらいに、端正で純粋そうな表情をたたえた青年。白いシャツを着たこの青年が出てきた瞬間、どこか日常離れした世界に意識を飛ばされてしまうぐらいのインパクトがあった。最初のほうは草原のなかに横たわる青年のカット。そして古い石造りの階段がある風景に場面は移り変わる。そこでも青年は階段のふもとの石の上に横たわっている。この階段は今までも山田さんの映画に何度か登場している場所だ。周りに余計な人などが映ることもなく、時間が止まっているかのような静かな風景。そこに白いドレスを着た大岡なでし子さんが登場。後ろ姿で登場し、ドレスの裾を引きずって階段を登っていき、そして階段を降りてカメラのほうに向かって歩いてくる。最初のうちは青年となでし子さんの動きはまったく絡むことがない。石の上に横たわる青年はそのまま景色になってしまったかのようにじっとして動かない。

この撮影をしているときはとても暑い日だったのだろうと思う。カメラに近づいたなでし子さんの肌に、汗が浮き出ているのがはっきりと見える。つつじが咲いているのできっと5月ごろ。確かに今年は5月のGW明けごろ、異様に暑い日が続いていたのを思い出す。青年のたたずまいやなでし子さんの白いドレスは神聖な雰囲気をたたえているのだけれど、なでし子さんの汗だけが妙に現実的な生々しさを伝えてくる。二人が出演しているほとんどの場面はずっと強い日差しに包まれているが、途中で灯の点いた街灯だけが見える暗い夜道の映像が差し挟まれる箇所がある。その後はまた何事もなかったように再び石の階段のある風景に戻る。

映画の後半になって、なでし子さんが青年のところに近づいていく。山田さんは宗教的なイメージからは遠い感じがするのだけれど、白いシャツを着た青年と、白いドレスを着たなでし子さんがまるでアダムとイヴのように観えた。少年の傍らに置かれた髑髏、時計なども、単に雰囲気を演出する小道具というよりも何か象徴的なもののように観えてくる。そのへんはあくまでも山田さんの感覚的なものなのだとは思うのだけれど。

また別の場所のカットで、なでし子さんが木漏れ日の中階段を降りて登っていく場面はとてもすばらしかった。バックに流れるサイモン・ターナーの音楽はとてもクールで、特に場面を盛りたてるようなこともなく、静かにじりじりと照りつける太陽のような確かな存在感を示している。最後は草原の中に横たわる青年のカット。風が吹くと青年のシャツがまくれあがる。そしてエンディングのクレジット。

長い作品なのだけれど、最初から最後までだれることなく一気に観ることができた。これといったストーリーもなく、大きな変化が起こることもない映画なのだけれど、それだけにこの長さが重要な意味を持っている。今まで、山田さんが自身でカメラを廻して手がけた長編映画は、コマ撮りや歩きながらの手持ち撮影などを多用した作品が多かった。いわば万華鏡のような、うつろいゆく風景を切りとるように記録した映画。しかしこの作品ではかなりの頻度で三脚を使用し、被写体をじっくりと捕らえている。長さはずっと短いけれど、一本目の『Chrysanthemum綺想』についてもそれは言うことができる。2本とも、登場人物の魅力が作品の出来に関わる多くの部分を占めている。

上映終了後は例によって飲み物とおつまみで乾杯。会場には主役の青年、なでし子さんもいた。なでし子さんはLA CAMERAで何度か会っているのだけれど、ウェディング・ドレスを作る仕事をしている。映画で着ていた白いドレスは、一緒に仕事をしているお母さまがデザインしたものだそうだ。手に職があるというのはすばらしいことだなと思う。今度、矢田亜希子主演の連続TVドラマ『夢で逢いましょう』に、なでし子さんがデザインしたドレスが使われるそうだ(このblogを書いている時点ではすでに放映済み)。

会場では4月のChrome Greenのライヴを写真撮影してくださった窪田さんにもお会いした。ライヴでお会いして以来だったのでお礼を言う。窪田さんは特にステージ写真を専門に撮影されているカメラマンで、ものすごくたくさん素敵な写真を撮ってくださった。

打ち上げの席で座ったところは映像作家の袴田さんが隣で、初対面だったけれど少しお話しすることができた。というか、山田さんの映画の感想をかなりざっくばらんに周りの人と話していたら、「何十年も映画撮っている人に対してそんなこと言うんかい」みたいな感じで話しかけられたのだ。どうやら口が悪くて態度のデカい人だと思われた様子。まぁおもしろがっていたのでよしとする。LA CAMERAで同時開催されている「背徳映画祭」では袴田さんの作品も上映されるそうなので、来週観にいくのが楽しみ。わたしはこの日なんと夜から仕事に出かけなくてはならなかったので、あまりいろいろな人とお話しする余裕もなく、会場を去らなくてはならなかった。

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ロートレックの路地

山崎幹夫さんの新作映画を観に下北沢のLA CAMERAに行った。上映作品は8ミリフィルムによる10分~25分の短編4本。

最初に上映されたのは『ロートレックの路地』(8ミリ/カラー/10分)。ロートレックというお店がある埼玉県川越市の細い路地を中心とした映像作品。非常に狭い範囲で撮影されている映像作品だが、昭和の時代を感じさせるようなお店の看板をアクセントに、路地を行ったり来たり、コマ撮りやパンを効果的に使用してリズミカルな作品にしあがっている。カメラをあやつる山崎さん自身の動きが伝わってくるようでおもしろい。時間が止まっているかのようなうらぶれた路地の風景に制服姿の女子校生が映り込んだり、また路地の家の軒先の向こうには車が通行する通りの喧騒がわずかに覘かれたり。同じ路地の景色を反復しながらも肝心のロートレックというお店にはなかなか踏み込んでいかない。フィルム後半に差し掛かり、やっと昼間の人がいないお店の中の様子を伺う映像が現れる。そして短い路地をひたすら行ったり来たりしていたカメラは、時折路地を抜けてこれといった特徴もない住宅地に動きを広げていく。最後は離れた高い場所からロートレックの路地を俯瞰。限られた狭い範囲を捕らえながらも、計算しつされたカメラの動きにより、ダイナミックな感覚を呼び起こすことに成功している。

特に山崎さんに尋ねはしなかったけれど、この綿密な構成はフィルムを切り貼りしてつくったものではなく、おそらくカメラ内編集(撮影する段階でカメラを止めたり動かしたりのタイミングを図りながら編集していく)で仕上げていったものなのだろう。ほぼ同じ動きの反復を多用しつつも、流れていく全体の構成をしっかり感じとることができるからこそ、これほどまでのダイナミズムを獲得しうるのだと思う。

「ロートレック」というお店の名前からはパリを、というよりは昔の日本のパリへの憧れを想起させる。パンフレットによると使用されている音楽は「エジプトの大歌手ワルダのもの」。山崎さんの頭のなかでは、この小さな路地から呼び起こされるそのダイナミズムは、パリやカイロまでもつながっていくものであるらしい。観ている側としては、どこから見ても日本の風景のこの作品を観て外国にまで思いを馳せるということはさすがになかったけれど、わたしにとって非常にハマる作品であったことはまちがいない。

かつての山崎さんの作品では、印象的なびっくりするような風景が半ば暴力的に作品のなかに投げ込まれるように登場することも少なくなかった。この『ロートレックの路地』は、山崎さんらしさを感じさせる風景ではあるけれど、風景そのものよりも、その路地を中心としたカメラの動きそのものに注目がいくような作品になっている。残りの3つの上映作品も、そういったカメラの動きというものを強く意識させられる作品であると言うことができる。

2本目の上映作品は『富士山へ飛ぶ夢を見るまで』(8ミリ/カラー/25分)。数年前に建て替えをした山崎さんの自宅の屋根裏部屋から、天気が良い冬の朝は富士山が見えるのだそうだ。自宅から撮った富士山の映像に「ぎょうざ~~~、ぎょうざ~~~」という物売りの声のようなものがサンプリングされた音楽がかかるのがおもしろい。頂上に雪をいただいた富士山の様子が餃子に似ているということなのだけれど、言われてみればそんなふうにも見えてくる。そして富士山のふもとにも富士山を撮影しに出かけるのだけれど、近くに行って撮ってみたところで特におもしろいものでもない。そこで自宅から富士山まで直線距離で半分の地点、そのまた半分の地点を地図上で調べ、それぞれの地点を訪れて周囲に何があるかカメラに収め始める。それでおもしろいかと言うとそれまた微妙なものがあるのだけれど、終始映像にかぶさっている山崎さんのナレーションがおもしろい。山崎さんの映画には山崎さん自身が出演してナレーションをしている作品が数多くあるけれど、これほどまで素で(?)喋り倒している作品ははじめて。通りかかったのら猫を撮影して「(猫をみつけると撮ってしまう)このクセは一生直りません」と話したり、「殺す」という落書きを見つけてそのペンキの飛び散りかたに言及したり。おもしろかったし随所で大笑いもしたけれど、かなりユルめの作品だと思ったことは確か。それが悪いのかどうかは、なんとも言えない。落ちへのつながりかたがあまりスムーズではなかったなということはあるのだけれど、非常に楽しめる作品にはなっていた。

そして次は『武蔵野ブラウン運動』(8ミリ/カラー/10分)。ある建物を捕らえた映像からカメラがパンをして別の建物を捕らえる。それから、別の場所からその建物を捕らえ、そしてまたカメラがパンをして別の建物を捕らえる。このようにいろいろな建物を次から次へと尻取り状態で映していくという明快なコンセプチュアル映画。音楽はついているがナレーションはなし。目的の建物へのパンとズーミングが作品のリズムを形作っていく。映されているのは巨大スーパーのてっぺんにある看板など、特別変わったものではない。もちろん遠くから見ても目立つものでないと作品として成立しないので、被写体の建物はそのような観点で選ばれているのだろう。むしろ映されているものよりも、山崎さんがどんなところからどういうふうにして映しているのだろうかということが気になる。山崎さんのことだから、勝手に部外者が入ってはいけないようなところにも無理矢理入っていって、ときには三脚を立てるような足場もないようなところで撮っているのだろう。時折ブレも目立つ超望遠レンズによる危うい映像がそれを物語っている。

最後の『スターレーンをめぐる円周軌道』(8ミリ/カラー/10分)は、「スターレーン」というボーリング場の屋上に立っているピンを中心として、それが見えるいろいろな地点からの撮影を試みる作品。『武蔵野ブラウン運動』と似たタイプのコンセプチュアルな作品だが、『スターレーンをめぐる円周軌道』には山崎さん自身のナレーションがあるのが大きな違いである。作品のコンセプトを聴きながら実際の映像を観るという体験は、トークショーなどで山崎さんのお話を実際に聴いていると考えれば決してつまらないものではない。というかファンにとっては相当楽しめるものではある。しかし、もともとのコンセプトにしたがって撮影された映像が、それだけで作品が成り立つほどおもしろいものでもなく、それを補うためにナレーションを入れたのだと邪推できなくもない。実際、「これじゃたいしておもしろくないので」というようなことが映像のなかで語られるのである。「最後には実験映画っぽくぐるぐる廻します」みたいなことも話し、そして最後はそのような映像で締められる。

この4作品、ナレーションのない作品、ある作品が交互に上映されて、バランスとしてはいい感じ。音声はもちろん映画の構成要素として大事なものだし、ナレーションが入ることによっておもしろい作品に仕上がるのであればそれは当然ありだろう。実際、山崎さんは今までも効果的に自身のナレーションを使用した作品を多くつくってきた。しかし、最近はかなり極端で厳密なコンセプチュアルな方向に作風をシフトさせている山崎さんの作品において、ナレーションはどういう位置づけのものとなるのだろう。『武蔵野ブラウン運動』はナレーションに頼っていないのだが、ちょっと物足りなく感じるのも事実。山崎さんがいったいどんなふうにしてこのアングルのこの画を撮影しているのだろうかというところに想像力をめぐらせないと、存分には楽しむことができないのだ。わたし自身は楽しんで観ることができても、例えば山崎さんの作品をはじめて観るという人にはなかなか薦めにくい作品だと言うことができる。そのようなことを考えると、今回の上映作品で無条件に人にも薦めることができてすばらしいと評価できるのは『ロートレックの路地』だけかなという気がする。このようなコンセプチュアルな作風を進化させて、今後どのような作品を生み出していくのか楽しみである。

今日は続いて山田勇男さんの新作上映のプログラム。それまでけっこう時間があいていたので、会場で出会った本間さんと一緒にお茶をしに出かけた。入ったお店はLA CAMERAに来る途中、すぐ近くにある喫茶店だけれど、以前見かけた覚えがない。そんなに安くはないけれど(珈琲1杯500円ぐらいから)、本格的な味で非常においしかった。本間さんとはじっくり話すのが久しぶりで、お互いの決して明るくはない近況の話だけでも時間が経つのがあっという間だった。

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13oz.

13oz.のライヴを観に高円寺のSHOW BOATに行った。13oz.はBAKI(ヴォーカル)、屋宜昌登(ギター)、海老澤英一(ベース)、湊雅史(ドラム)、藤掛正隆(ドラム)の5人組ロックバンド。ライヴを観るのは3年前の1stアルバムのレコ発以来2度目である。今回は3rdアルバム "LIVE" のレコ発ということでワンマン。

開演予定時刻を10分くらい過ぎて会場にたどりついたときにはもう演奏がはじまっていたが、BAKIはまだステージにいない。たぶんまだ1曲目。その次の曲からBAKIが加わった。13oz.はBAKIと藤掛さんが在籍しているという点で、わたしの頭の中では#9ともオーバーラップしてしまうところがある。どちらも男っ気のあるパワフルなロックという点で、音楽性は共通するものがある。#9の曲を13oz.で演奏しても、その逆でも、たぶん聴いているほうとしてはそんなに違和感はないだろう。あえて言えば#9のほうが唄がキャッチーでノリやすく、13oz.のほうは唄より演奏に主眼が置かれているような気がする。

ただでさえ藤掛さんのドラムはパワフルなのだけれど、13oz.ではAなどのバンドで活躍する湊雅史とのツインドラムということで、すさまじい破壊力。片方がチキチキ刻んでもう片方が思い切り叩くというような役割分担があるわけでもなく、二人とも思い切りのビートを叩き出している。どちらかというと藤掛さんのドラムのほうがどっしりした音。湊雅史は薄べったいスネアを使っていることもあり、ときどき甲高く響いて上モノのパーカッションぽい感じに聴こえることがある。ほとんどユニゾンで叩いているところもあれば、お互いに相手のパターンを牽制しあいながらフェイントのようにおかずの拍を入れあったりしているようなところも。この2人のドラムを観ているだけでもとてもスリリングだ。

ギターの屋宜昌登もすごい。はぎれの良いリフからエフェクターの使いかた、ソロでのハードな弾きっぷりまでむちゃくちゃ上手い。途中アコースティックギターを弾く場面もあって、そのときの音もすごく気持ちよかった。ベースの海老澤英一はこの激しいバンドの中にあってけっこう軽やかな感じのサウンド。でも軽妙な調子でかなり個性的なフレーズを弾くのでインパクトはある。BAKIのヴォーカルは#9のほうが良いなと思うけれど、でもあれだけうるさいドラムx2をバックに唄うことができるヴォーカリストなんてそうそういるものではないだろう。本編最後のほうでは藤掛さんのドラムソロをフィーチャー。湊雅史は後ろの壁の鉄骨を叩いたりしていた。

アンコールのときはメンバー全員Tシャツを着替えて出てきた。みんな古い映画のTシャツ。屋宜昌登は「ギターを持った渡り鳥」、藤掛さんは「狂った果実」、湊雅史は「嵐を呼ぶ男」、海老澤英一は「トラック野郎」、BAKIは「傷だらけの人生」。なんかみんな似合っていていい感じ。全部で1時間半ぐらい、たっぷり楽しむことができた。

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Voyages

大槻さんがギターを弾いているVoyagesのライヴを観に西荻窪TURNINGに行った。たどりついたときに演奏していたのは午後のヤゴというバンド。ギター/ヴォーカル、パーカッション、ドラム/キーボードの3人組。2曲しか聴くことができなかったけれど、モジュレーション系のエフェクターを深くかけたサイケデリックなギターと唄が印象的なバンドだった。

そしてVoyages。金子薫(ヴォーカル/ギター)、大槻洋治(ヴォーカル/ギター)、JUNKO(ヴォーカル/ベース)、Ken-ichi(ドラム)の4人組。このバンドのことは以前から大槻さんに聞いていたけれど、ライヴを観るのははじめて。ちょっとたどたどしいくらいの神妙な雰囲気で演奏がはじまった。唄を前面に出した静かで耽美的な音楽。1曲目の間奏の大槻さんのギターソロがすごく良い。しかし、その後は大槻さんはコード・カッティングのサイドギターに徹する場面が多く、メイン・ヴォーカルの薫さんが随所で奏でるギターのほうがおもにフィーチャーされていた。薫さんのギターは不器用なぐらいに淡々とメロディを奏でているのだけれど、フレーズが一風変わっていておもしろい。でも決して奇をてらうようなものではなく、美しい曲調に良くマッチしている。ドラムはそんなに激しく叩くことはなく、メロディ主体のバンドのサウンドに軽く味付けをするような感じ。一つのパターンを叩き続けるようなものでもなく、かといってテンションの高いフリー・インプロヴィゼーションのようなドラムでもなく、優しく曲に彩りをつけていた。3拍子の曲が多いけれど、曲のムードや雰囲気にあわせてリズムは自由にくずしながら演奏していくのがこのバンドのスタイルみたい。ちょっとまとまりに欠けるきらいはあるので、全体的にもう少し演奏をがんばったほうがいいなとも思う。でも美しいメロディに癒されるような優しさ、そして詞をはっきり聴かせるヴォーカルは非常に良かった。途中JUNKOさん、大槻さんもそれぞれ1曲ずつメイン・ヴォーカルをとっていたけれど、それぞれ雰囲気のある良い唄声を聴かせていた。

ライヴは場内でおちあった田中さんと観ていて、終演後はVoyagesの打ち上げにも一緒にお邪魔させていただいた。田中さん、大槻さん以外は初対面のかたばかり。ドラムのKen-ichiさんは南米のサイケデリック・ミュージックなどに造詣が深く、おもしろいお話をいろいろと伺うことができた。なんと学生時代の同級生(?)が山田勇男さんの映画の上映会を企画して、そのポスターを描いたことがあるのだそうだ。もともと田中さんと知り合ったのが、山田さんが企画に携わって当時月一でおこなわれていたLA CAMERAの上映会だったこともあり、世間の狭さというか、いろいろ深いつながりを感じて感慨深かった。大槻さん、田中さんの終電の時刻にあわせてわたしも一緒にお店を出たのだけれど、Ken-ichiさんにはライヴのセッティング中に流していた曲のCD-Rまでいただいて非常に感激。

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夜想リターンズ2

「夜想リターンズ2」を観にHIGURE 17-15 casに行った。おもに1980年代にペヨトル工房が出版していた雑誌「夜想」の復刊を記念する展覧会・イヴェントのシリーズ。今日は美術家の森村泰昌、人形作家の恋月姫のトークショーがおこなわれる日である。

5時ちょうどぐらいに会場にたどりつくと、森村泰昌のトークショーはすでにはじまっていた。メールでいただいた案内では5時からとなっていたのだけれど、実は4時からだったみたい。会場にあったチラシには手書きで直した形跡があった。1時間も見逃してしまったのはちょっと悔しいのだが、それでも非常に示唆に富む話を多く聞くことができて有意義だった。

最初のうち話題になっていたのはデジタルカメラやインターネットのこと。森村泰昌が自身の作品を作る行為を「表現行為」として捕らえていることが非常に印象的だった。制作意図について必ずしも言葉で表せることができるようなコンセプトや何かが最初からあるわけではなく、作品が完成した時点ではそれが良いものなのかどうか自分で判断はできないのだという。観る人にとってそれはどうってことないものかもしれない。でも人が作品の前でたちどまってくれて、「なぜ○○○なのですか」とか「こんなはずかしいことはわたしにはできません」みたいな感想を聞いたりして、もともと個人的なものだった表現が外界とつながっていき、自身の作品についてだんだん客観的に捉えることができるようになっていくとのこと。だから、ただやりたいことをやっただけでは表現にはならない、完成した作品に対しての批評的なスタンスを持ち、なぜこれを選択したのかという理由を考えて掘り下げていって、はじめて表現と言うことができるようなものになるのだと語っていた。

これらの話のほとんどは最後の質問コーナーでの答えで語られた内容。「何度も聞かれていることだけれど」と話しつつ、一つ一つ考えながら言葉を繰り出すように丁寧に答え、しかも「今日はわりとうまく説明できた」とおっしゃっていたのが印象的。十分なキャリアのある大物美術家であるにも関わらず、はじめて作品を発表しはじめたときの初心を失わずに作品を作り続けていることが伝わってきて、まさに表現者としての真摯さが感じられるトークショーだった。

森村泰昌のトークショーのあと、展示をひととおり観た。2Fには森村泰昌の写真作品。もったいぶったようにテーブルにガラスのコップとスプーンが立てて置かれていたり、サイコロを積み上げたオブジェ写真を加工したものなど。森村泰昌は他の人に扮したセルフポートレートの作品が有名だけれど、展示されていたのは観たことのない作品ばかりで興味深かった。1Fには畠山直哉の写真作品や土井典の特装本、ペヨトル工房の出版物の本棚など。地下の展示室には恋月姫、土井典、三浦悦子、秋山まほこ、堀佳子の人形。かつて町工場だったこの建物の面影を残す木材を加工する器械(?)などもインスタレーションに利用され、妖しい雰囲気を演出していた。

そして恋月姫のトークショー。「森村さんのトークを聴いていたのですがそれに比べるとわたしの表現は不自由なものだ」とおっしゃっていたのが印象的。美術家で言うところのコンセプトとは違うだろうけれど、こうあるべきという理想みたいなものがあって作っているということなのだろう。「人形はもちろん作りたいから作っているのだけれど、作らされているという感覚もある」と語っていた。

今野さんの話によると、展示を観に来たお客さんが「夜想」の表紙の写真の人形が見たいと言うので、「その人形はこれですよ」と示すと、「これは違う、わたしはこの人形が欲しい」と言って表紙の写真を指差して譲らないというようなことがあるのだそうだ。特に恋月姫さんの人形は、写真に撮ったものと実物でだいぶ印象が変わるらしい(土井典の人形は写真と実物でそんなに印象が違わないとおっしゃっていた)。そのお客さんの気持ちもわからなくもないけれど、恋月姫さんご自身の語り口はかなりさばさばしていて自然体。今野さんが「人形に魂を吹き込むというようなことはあるんですか?」というような問いかけに対し、あっさり「人形には魂はないですよ」という答え。

恋月姫トークショーは50分くらい聞いて会場を後にした。池袋の手刀でおこなわれる殻と101Aのライヴに行きたかったのだ。殻はついこないだ観たばかりだけれど、101Aは約1年ぶり。殻のドラムの山下さんは以前は101Aでドラムを叩いていて、良く観に行っていた。たどりついたときには殻の演奏ははじまっていたけれど、5曲ぐらい観ることができた。ヴォーカルの人が風邪をひいていてちょっと単調な感じがした前回のライヴよりもいい感じ。山下さんのドラムはいつものことながらすばらしい。2曲目か3曲目ぐらいで7/8拍子のパターンが印象的な曲もあり。ただこの曲に関してはギターx2のアレンジがいまいち煮詰まっていない感じもした。

101Aはトリ。主要メンバーはヴォーカル/ギターとベースの2人。打ち込みを多用するバンドで、そのときの編成によってサウンドはいろいろ違うようだ(わたしは今まで山下さんが参加しているときしか観たことがない)。新しいサポートドラマーの秋山隆彦はdowny、Fresh!などのバンドのメンバーらしい。ベースともどもはじけていて良かった。ただ、後半ヴォーカルが息切れ気味だった感じがする。ヴォーカルにエフェクトをかけたり、サンプリングしたヴォーカルを一緒に出したりするのが101Aのサウンドの大きな特徴なのだけれど、サンプリングしたヴォーカルに生のヴォーカルが負けているように思われたところがあったのがちょっと残念だ。7月はUKツアーを控えているそうなので、がんばってほしいなと思う。

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でみこの一生

アーキタイプス展を観たあと、いくつかの寄り道を経て住吉のティアラこうとう小ホールへ。P-ブロッの演奏によるケンハモ・ミュージカル「でみこの一生」を観に行った。P-ブロッは5人の鍵盤ハーモニカ奏者による楽団。かつてはメンバーが6人だったり、10人以上だったりするのも観たことがあるが、全員が小学校の音楽の授業の教材で使われるような鍵盤ハーモニカ(メーカーによりピアニカとかメロディオンなどと呼ばれている)を演奏する。見た感じはいかにもプラスティックのチープな楽器なのだけれど、卓越したアレンジと演奏により、まるでサックスやヴァイオリンが鳴っているようにさえ聴こえてくる、驚くべき音楽を演奏する人たちである。レパートリーはクラシックの名曲からジャズ、サザエさんのようなTVの主題歌まで事欠かない。

ここのところの東京でのライヴの機会を2-3回逃してしまい、わたしにとってなんと3年ぶりのP-ブロッのライヴ。しかも今回はミュージカルだという。どんなものなのか事前には想像もつかなかったのだが、会場の受付で受け取ったパンフレットにはあらかじめ曲目やメンバーのコメント、ストーリーなどが書かれていた。どうやらP-ブロッのメンバーの一人、林加奈が唄い、踊り、絵も描いたりすることになるらしい。今までにも舞踏の伊藤キムとの共演とか、林加奈が描いた絵を楽譜に見立てて演奏するなど、音楽の幅を広げていくような試みはいろいろとおこなっていた。しかし今回はミュージカルとは、ずいぶんと思い切ったことを考えたものだ。

ストーリーは、そこらじゅう壁だらけで不条理な規則にしばられた世の中、林加奈子が演じるでみこが前向きにいろいろな訓練を積んでいくというもの。例えば練馬に住むためには鍵盤ハーモニカである曲を弾けるようにならないといけない。また、でみこは特定の人のために料理をつくってはいけないという規則を破って貯金をすべて没収されたりもする。年金をもらうためには空手をマスターしなくてはならないのだが、数十年後、年金制度は崩壊して90歳になったでみこは空手50段までいったにもかかわらず年金がもらえない。随所に世相を皮肉りながら、常に前向きで生き生きとしたでみこを描いたストーリー。すっとんきょうでチープな展開ではあるけれど、いかにもミュージカルっぽいオリジナル曲のほか、「燃えよドラゴン」のテーマ曲やマーラーの交響曲を巧みにアレンジした演奏は、さすが熟練した演奏者が揃っているP-ブロッならでは。繰り返しでみこのテーマを織り交ぜつつそれぞれの場面を演出していく。

それにしても林加奈がすごい。商業的なミュージカルの公演のような本格的なものではないのだけれど、唄も踊りもとても上手。振り付けも良かった。あえて言えば演奏している他のメンバーとのからみがもっとあると良かったと思うのだけれど。料理をつくっている場面ではフライパンでかちゃかちゃ音をさせて演奏に加わり、メンバーに食事をふるまうような振り付け。また後半では後ろを向いて並んで立って演奏するメンバーの背中に紙を貼り、それを壁に見立てて壁画を描く場面なども。しかし、それ以外は演奏しているメンバーはバックバンドに徹してしまっていて、もちろん巧みな演奏を聴かせてくれてはいたけれど、今までP-ブロッのライヴで経験した演奏のすばらしさに今一歩及ばないように思われた。

でみこが壁画を描いた壁は、大地震が起こって壊れてしまう。壁はもちろん現実の世界でのディスコミュニケーションといったようなことを暗喩しているのだろう。でみこは壁が壊れることを望んでいた。しかしそこで神戸の震災のことに触れ、みんなで助け合ったのはほんの一瞬のことで、そのあと世界はすぐに元に戻ってしまった、というようなことを語る。とっちらかったストーリーの中に、そういった現実世界に対する洞察や社会批判のようなものがこめられている。決して手法として洗練されてはいないのだけれど、伝わってくるものは確かにシリアスに受け止めた。伝わってきたことに関して共感はできるのだけれど、やや強引な手法でそのような主張をのせていっていることに対して、ちょっともやもやした気持ちも残る。

最後のアンコールは林加奈も一人の演奏者として加わり、5人で鍵盤ハーモニカの演奏。そこまでの段取りに従った進行からは解き放たれたかのように(?)、みんな生き生きと演奏している。ミュージカルもおもしろかったけれど、やはりこのように自由に演奏をしているP-ブロッのほうが魅力的に感じられるというのが正直なところでもある。帰り道ではミュージカル部分のことをいろいろ批評的に考えてますますもやもやしていたのだけれど、その一方で「でみこのテーマ」が頭を離れなくなってしまっていた。久しぶりのP-ブロッはなんとも複雑な思いを残す公演だった。もっと頭を柔らかくしてついていくことができるようでないとダメかも。

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アーキタイプス

青山一丁目のカナダ大使館高円宮記念ギャラリーでおこなわれている「アーキタイプス展」へ。「環太平洋圏の異なる地域と文化的背景を持つアーティスト達が建築やインテリアデザインを様々な角度から見つめ直し、それらがどのように生活空間や社会空間に影響を及ぼしているかを表現」する展覧会とのこと。出品作家は東恩納裕一(日本)、谷山恭子(日本)、レネー・ヴァン・ハルム(カナダ)、エリスペス・プラット(カナダ)、サリー・スマート(オーストラリア)、カラム・モートン(オーストラリア)の6人。

東恩納裕一さんの作品は、おなじみの黒いゴムを縦にたくさん貼った作品と蛍光灯でつくったシャンデリアの作品。シャンデリアの作品はギャラリーの高い位置で蛍光灯につながる大量のコードをそのまま見せて展示しているのが効果的だったし、ゴムを使った作品も入り口横の大きなスペースをダイナミックに使い、ギャラリーの外が透けて見えるようになっているのが良かった。

ギャラリーの四隅にさりげない感じでテラスや階段を設置している谷山恭子の作品は場にうまく溶け込んでいておもしろい。言われなければ作品と気づかないぐらい高い位置にあるものもあれば、ギャラリーの床に接するように設置されているものもある。

一番気に入ったのはサリー・スマートの作品。ギャラリーに入って正面の壁に、切り絵のようにしてフェルト地を切り抜いてつくった絵柄を貼っている。高いギャラリーの天井に向かって螺旋階段のシルエットが伸びていき、その前を過剰な遠近感で強調された大きな羽を持つ虫が飛んでいる。何枚ものフェルトを使って2次元に大きく広がり、絵画ともデザインともつかない新鮮なインパクトを放っていた。他の作家の展示がわりと産業だとか工業製品的なものを思い浮かべるきちっとした作品だったこともあり、そのダイナミックで奔放なスタイルが印象深い作品だった。

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殻のライヴを観に渋谷のclub asiaに行った。ここに来たのははじめて。たどりついたときは一つ前のユリイカというバンドの演奏中だった。ユリイカはハスキーな声の女性ヴォーカルが魅力的な唄モノロックバンド(ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムの4人組)。2曲くらい聴くことができた。

セッティング入れ替えのときに101Aのベースの人に遭遇。殻のドラムの山下さんは以前101Aでドラムを叩いていたから良くライヴを観にいっていたのだけれど、久しぶりにお会いしたので最初わからなくて申しわけなかった。

殻のセッティングは、ドラムセットも大部分入れ替えていてちょっと時間がかかっていた。山下さんはシンバルにとてもこだわりを持っていて、シンバルのみによる自主制作のソロアルバムをつくっているほど。大きなシンバルを高い位置にたくさん立てて、見た目にもインパクトのあるセッティング。広めのステージにフロントのヴォーカル、ギターx2、ベースの4人がほぼ等間隔で並び、ステージ中央がやや大きく空いていたので、いつになく山下さんが良く見える。

殻のライヴは去年の10月に一度観たことがある。そのときは確か結成して初めてか2度目ぐらいのライヴだったと思う。妖しい雰囲気の女性ヴォーカルにハードなサウンドのゴス系(?)バンド。前回観たときは正直なところギターが2人いる意味があまりないように思われたのだけれど、アレンジが工夫されてずいぶん良くなっていた。山下さんは、さすがシンバルにこだわりがあるよなという感じ。静かな曲から激しい曲まで器用にいろいろ叩きわけていた。ヴォーカルは黒ずくめの衣装に長い髪、マイクスタンドにライトをセットして下から光を当てて妖しい雰囲気を演出。しかし風邪をひいていたらしく、肝心の唄に関しては前に観たときに比べるとちょっと単調な感じだったのが残念。そのあたりは次回に期待しよう。

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