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スカルボ / 我々

モモカワさん企画のライヴを観に東高円寺UFO CLUBへ。出演バンドはTHE SPECIAL VIEW、スカルボ、我々、あカさたな。4バンドとも観たかったけど、たどり着いたときは1番目のあカさたなが終わってしまっていた。残念。あとで聞いた話によると、20分もやらなかったらしい。

2番目は我々。川田さんのギターの音が大きくて、おぉっ、と思う。いつもはギター音量控えめだなと感じることが多いのだけれど。ただ、この日の我々は、音量バランスの問題は別として、なんか他のメンバーがおとなしかった。特にいつもはじけているヴォーカルのコマツさんが、いまいちのりきっていない様子。客席に突入してくる場面も1回あったけれど、なんだか投げやりな雰囲気だった。最後は一人先に楽屋に引っ込んでしまって、どうしたんだろうと思って観ていた。

3番目はモモカワさん率いるスカルボ。1曲目がいきなり、以前はよく最後に演奏していた「Inst.」。モモカワさんのギター、いつものモズライトとは違うギター。それに、前にUFO CLUBでやったときはYAMAHAのアンプを使っていたけれど、この日はJC-120を使用していた。今までの印象とはけっこう違うサウンド。モズライト+YAMAHAのほうが腰のある音で、今回はもっとクリアでキレイな音。ちょっとモモカワさんがおとなしく見えてしまったかなという気もする。スカルボは、ベース、ドラムはいつもちょっととっちらかった感じもあって、でも2人とも特徴ある個性的なプレイヤーでおもしろい。今回は全体的にはそんなにとっちらかっていなくて、3人よくまとまった演奏だったと思う。

最後はTHE SPECIAL VIEW。去年の12月に新大久保の水族館でスカルボ、あカさたなと対バンで観て以来。THE SPECIAL VIEWはかなり昔から何回となく観ているけれど、かつてはNew Wave色を感じるヒリヒリとした痙攣ギターサウンドが魅力のバンドだった。最近は良く言えば音楽性の幅が拡がっていて、でも昔のヒリヒリした感じが薄れてきてしまっている。今回はレゲエ調の曲などもあり。MCも演奏もなんだかゆるーい感じで、全体的に淡々とした進行。でもセンヤさんのギターはどこか一筋縄ではいかないところがあって、終わってみれば、なんか凄かったなぁという印象。この日のライヴはドラムの人も終わりに近づくに連れてどんどんテンションがあがっていってとても良かった。

ライヴ終演後は川田さん、モモカワさん、ゆうこさんとお話し。モモカワさんの新しいギター、なんと通販で買ったばかりのものらしい。モモカワさんといえばモズライトというのが強力なイメージとしてあったから、本当にびっくり。

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カーコ・フェレンク

恵比寿ガーデンプレイスの中にある東京都写真美術館でチェコ映画祭2005開催中。愛・地球博関連企画ということもあり、上映作品は米国アカデミー賞受賞作品など一般大衆向けのものが多いが、ほとんどは日本初公開。さっそく、ヤーン・カダール、エルマル・クロス監督作品『大通りの商店』(1965年/白黒/128分)を観た。第二次世界大戦中、ナチスドイツによるユダヤ人への迫害が強まっていく中でのチェコスロヴァキアの人々の生活を描いた作品。主人公の農夫は、ナチス党員である親戚からの後ろ盾で年老いたユダヤ人のおばあさんが切り盛りしているボタン商店の監視人を任されることになる。しかし一方ではユダヤ人の有力者からその店主である未亡人を守るように頼まれてその報酬を受け取り、欲と罪の意識のあいだで揺れながら生活することを余儀なくされる。そしてナチスドイツによる圧制が強まっていき、不幸な状況が訪れてしまう。重たいテーマのストーリーだけれども、いかにも小市民的でいい人だが要領の悪い主人公といい、現在の政治状況をあまり理解していないボタン商店のおばあさんといい、ユーモラスな味わいがあって楽しく観られる映画だった。

それから目黒まで歩き、都営三田線で千石へ。三百人劇場でおこなわれているソビエト映画回顧展でフセヴォロド・プドフキンの『母』(1926年/サウンド版/白黒/90分)を観た。サイレント映画の合間で挟まれる文字のカットがすべて日本語に置き換えられているフィルムでの上映。この手の映画には欠かせない(?)群集シーンの迫力が凄い。しかし、革命プロパガンダ映画と簡単に言い切ってしまうのは忍びない、人間性に対する深い洞察のある重い作品である。

それから小石川図書館分室やうどん屋に寄り道しながら歩いて日本女子大まで。カーコ・フェレンクによる砂絵のライヴパフォーマンスを観に行った。ずっと不忍通り沿いに目白方向へ歩いてたぶん3キロくらいの道のりだったけれど、坂を降りて昇って降りて昇ってという具合で意外と時間がかかった。会場は桜楓2号館4階ホール。日本女子大学の敷地内に入るのは初めてである。

カーコ・フェレンクはハンガリーの砂絵アーティスト。ライトボックスの上で砂絵をつくってその場で変化させていき、それをプロジェクターで大きく映し出して見せる「サンドペインティング」というパフォーマンスをするとのこと。特に事前知識はなかったが、ハンガリー出身ということ(旧共産主義国マニアなもので)、非常に珍しいものが観られそうだという好奇心で観に行くことにした。今回はおもに愛・地球博がらみの来日のようだけれど、過去にはNTT西日本のCMやNHKみんなのうたにも使われたことがあるそうで、3度目の来日になるらしい。

会場の受付では絵葉書とポスターを売っている。木炭画イラストのような柔らかい風合い。ここでいう木炭画イラストというのは、ついこないだblogに書いた「三つの雲」の辻直之のことが念頭にあるのだけれど、ちょっとシュールで夢見心地な雰囲気は両者共通しているように思う。まともに比較するならば、カーコ・フェレンクのほうがずっと素直にロマンチックな感じだけれども。本当に全く事前知識がなかったもので、実は砂絵というのはてっきり様々な色のついた砂でカラフルに描くものを想像していた。絵葉書を見ると使用する砂は焦げ茶一色の様子。どんどんその場で絵を描いては変化させていくわけだから、確かに複数色の砂を使って描いていくのは無理がありそう(模様のようなものならともかく)。とりあえず絵葉書を1セット購入。

「サンドペインティング」のパフォーマンスは実にすばらしいものだった。砂絵を描くライトボックスはディスプレイで言えば20インチぐらい? もう少し大きいかもしれない。その上に砂をさーっと撒き、指や紙片などを使って人や鳥、その他の動物、波間に浮かぶ舟などの絵を次々と描いていく。例えば人の顔を描くときは、落とした砂を指でのけるようにして輪郭を描き、つまんだ少量の砂を器用に眉毛などの形になるように落としていったり。その他いろいろな技法を駆使して陰影豊かな絵をあっという間に仕上げてしまう。次々といろいろなモチーフを描き足して最初に描いた絵はわからなくなっていく。その様子が上方からのカメラで捕らえられ、スクリーンに映し出される映像は、まさに木炭画アニメと同じくらいマジカルとしかいいようがない映像だった。

共演はピアニストの稲本響。観たところかなり若い。最初1曲はピアノの独奏。クラシック系の演奏者のように見受けられたが、かなり元気のよいダイナミックな演奏だった。カーコ・フェレンクが登場したのは2曲目から。途中で稲本響は一度退場し、数曲は既成のCDの音楽を流してパフォーマンスをおこなった。その部分は今までにも繰り返しパフォーマンスをおこなっているレパートリーで、描いていく絵の展開が事前に決まっている様子。ピアノと共演した部分でも有名な曲が多くとりあげられていたが、サンドペインティング、ピアノとも全くの即興で演じたと思われる曲のときが一番良かった。即興でも迷いのようなものはなく、手が止まる場面はあっても数秒。いや、作業している最中は大画面に映写された映像に手の陰が写ってしまうので、少し絵を変化させては絵を見せるためにいったん手をどける、ということをリズミカルに繰り返している。それは即興のときもレパートリーのときも同じ。まさに熟練の作業である。でも、即興のときのほうがそのリズムにノリがあって、砂絵の変化していく様子もよりダイナミックだったような気がする。稲本響も、既成曲の演奏ではかなりおとなしく、自作曲や即興のほうが持ち味を存分に発揮していた様子だった。

だいぶ前のことになってしまって、細かい進行は忘れてしまったけれど、最後のほうではまたカーコ・フェレンクと稲本響との共演、また、稲本響とその弟のクラリネット奏者、稲本渡との2人による演奏などもあった。質問コーナーもあって、使用している砂は地元のドナウ川岸の砂であることなど話していた。いろいろ盛りだくさんのようだが、賞味1時間半ぐらい。最初にこのパフォーマンス&コンサートを主催した「オーロラ基金」の紹介ヴィデオなどもあったから、サンドペインティングは実質1時間なかったかもしれない。大学でおこなわれる公演にしては高かった(当日4,000円)ので、できればもう少し長く観たかったなと思う。

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割礼

割礼のワンマンライヴを観に吉祥寺のMANDA-LA2に行った。

ここ数年、割礼のワンマンはMANDA-LA2で年1回ぐらいおこなわれている。去年のワンマンは10月だったけれど、季節外れの大型台風に見舞われた。電車も止まっている路線が多く、わたしも出かけるのをひるんだ覚えが。井の頭線は普通に動いていたので行くことができたけれど、客席は割礼のワンマンにしてはかなりさびしかった。ドラムの松橋道伸が「たっぷり演奏しますから、ゆっくり乾かしていってくださいね」とMCをしていたのを未だに覚えている。去る7月のライヴのMCでも、告知の際に去年の台風をネタにしていた。

今年も数日ずれたら台風にあたるところで、不安定な天気が続く毎日だったものの、幸いライヴ当日は行きも帰りも傘をささずに済んだ。着いたのは開演数分前だったけれど、幸い前から2番目のやや下手側の席が一つだけ空いていて、お店の人が案内してくれた。客席後方には灰野敬二の姿が。

大入りのお客さんのなか、この日の割礼は本当に圧倒的な演奏を見せてくれた。割礼のライヴはいつでもすばらしいけれど、それでも長年に渡ってさんざん観続けているわたしとしては、このところ「一番良かった頃に比べると、ちょっと」と思っていたのも事実。個人的には、ラジオバンドという名義で活動していた宍戸幸司(ヴォーカル/ギター)、菅原賢(ベース/コーラス)、松橋道伸(ドラム)の3人が割礼として頻繁にライヴをおこなうようになってしばらくの頃が一番良かったと思っている。今回は、現在の宍戸幸司(ヴォーカル/ギター)、山際英樹(ギター)、鎌田ひろゆき(ベース)、松橋道伸(ドラム)という4人編成でのライヴとしては、ほぼ完全に納得がいく内容だった。最近は、「鎌田ひろゆきはもともとベーシストではないし」とか、山際英樹についても、「ずっと前にやはり4人編成だった割礼で演奏していた頃に比べるとだいぶ遠慮がちなのでは」とか、「宍戸幸司のヴォーカル最近ちょっと声のつやが衰えてきたかな」という気がしていて、そのへんはある程度割り引いて観るようにしていたのが正直なところ。でもこの日はまるでそんなことは気にならない、本当にすばらしいライヴだった。

今回はワンマンということで、久しぶりに聞く曲が多かったのも嬉しかった。1曲目は新曲? 不協和音のツインギターの絡みがカッコいい。「空中のチョコレート工場」は山際英樹の柔らかい音のギターで夢見心地。「なにもかもが腐った」は今まで聴いたのとは全然違う、淡々として速めのテンポのアレンジにびっくり。「緑色の炎」もずいぶん久しぶりに聴いたと思う。短いライヴだと、こういうひたすら重苦しい曲はあまり演奏されることがない。

割礼最初期からの曲「リボンの騎士」や「ゲー・ペー・ウー」では粘っこいツインギターの絡みが最高だし、「アラシ」はちょっとベタな感じもするメロディについほろっと来てしまう。宍戸幸司の激しいギタープレイがカッコいい「光り輝く少女」「風」に続いて、極端に楽器の音数を減らした「のれないR&R」が演奏されて感動的。エコーのかかった宍戸幸司の声が深く心に響く。

イントロの激しいドラムから一転して暗く静かに唄い上げられる「HOPE」には、息を飲んで聴き入ってしまう。重苦しい緊張感を保ちながら轟音ギターソロに突入していく圧巻のエンディング。「がけっぷちのモーテル」も歌詞をかみしめながら聴き入ってしまう曲。このゆったりしたメロディはなんとなくほっとする。「風船ガムのドジ」は合いの手をいれるような山際英樹のギターがいい感じ。

アンコールは「オレンジ」。印象的な間奏のギターのメロディ、光がすーっと射してくるような美しい歌詞の一語一語を噛みしめて胸がいっぱいになってしまう。もう言葉にしきれないほどの感動。

今日は演奏時間がとっても長い! って観ているときから思っていたけれど、終わってみたらなんと2時間半ぐらい経っていた。また次のライヴも行くぞ! という気持ちにさせられる本当にすばらしいライヴだった。

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坂道の空地

長沢哲さん(ドラム、パーカッション)と山崎阿弥さん(ヴォイス)によるデュオのライヴ、「『坂道の空地』 -- 音と声と言葉の間、の時間 --」を観に荻窪のひなぎくに行った。長沢哲さんは多くのミュージシャンとデュオでライヴをおこなっているが、この顔合わせははじめて。わたしは山崎阿弥さんのことは全く知らなかったのだけれど、長沢哲さんの強い希望により実現した企画なのだそうだ。

2人が位置につき、はじめて山崎阿弥さんが女性であることに気がついた(男性かなと勘違いしていた)。椅子に座っておもむろに靴を脱ぎ、マイクに向かう。最初のうちはマイクからかなり離れて、声なのか発信音なのか判別しがたいような、やっと聴こえるぐらいの小さい声を持続。長沢哲さんがそこに効果音風の音を入れて場の雰囲気をつくっていく。それから山崎阿弥さんはマイクに近づいたり遠ざかったりして声に変化をつけていく。マイクにはかなり深くリヴァーブがかかっていて、オフマイクで聴こえてくる声はまた全然違う感じに聴こえる。そのブレンド具合によって、ゆったりと波打つような緩急をつけていくのだが、微妙な声のコントロールが見事。また、声を切ったり持続したりする組み合わせで次第に複雑な変化をつけていく。そういった音響っぽいアプローチばかりではなく、メロディをつけて裏声と地声を行き来しながら唄ったりも。名前から、なんとなく声明などをやっているかたなのかなと勝手に想像していたのだけれど、特にそういうことはなかった。一定のパターンの持続や反復により少しずつ高揚感を生み出していくテクニックは、宗教的、土俗的な儀式を想起させるようなところもないわけではない。でも透明感溢れるその声質からは、日本とかアジア的な要素よりはむしろヨーロッパ方面のトラッドに通じる雰囲気を感じた。

前半、後半それぞれ40分くらいずつ、切れ目のない即興演奏。後半では、山崎阿弥さんは小さな蝋燭に火を灯し、ご自身の手のひらに落とした蝋で蝋燭を立てて唄っていた。そっと息がかかるような位置に蝋燭を掲げたり、火が消えないように手で包み込むなどのなめらかな動きも相俟って、とても優雅な感じのするパフォーマンスだった。ヴォイス・パフォーマンスというと、観る人の度肝を抜くような奇声を発するようなものとか、音響的なアプローチに徹しているものとか、言葉に工夫を凝らされたものなどいろいろ観てきたけれど、山崎阿弥さんの場合いろいろなテクニックを駆使して唄になるかならないかの境目を漂いつつも、極めて自然体で演じているところが魅力的だと思った。

長沢哲さんは、ヴォイスをかき消さないようにそっと音を入れているところもあれば、複雑なリズム・パターンで先導していくようなところもあった。しかし、山崎阿弥さんがそんなに大きな声を出さず、極めて小さな音量のまま声を自在にコントロールしたり、ふっと途切れさせたりするような技を多用するので、長沢哲さんの演奏は全体的に遠慮がちな様子。とはいえ、長沢哲さんももともとそんなに爆音で演奏するタイプではなく、細かい手数を組み合わせて複雑なリズムパターンを生み出したり、シンバルの響きが持続するのをうまく利用しながら音のテクスチャをつくっていくようなところがあるので、2人ともどこか似たような方向性を持っているように感じられる。今日はまだ手探りな感じがしたけれど、何度かやっていくうちにおもしろくなっていきそうな組み合わせだと思った。

ライヴには、先日遊工房で個展を開いていた石原美和子さんも来ていた。実は前の日にちょっとした飲み会でお会いしたばかり。「山崎阿弥さん、前半では髪の毛長かったのに、後半では短くなっていなかった?」「そうそう、気のせいじゃないよね」。長沢暁さん、長沢暁さんと一緒に西尾彩さんに装本を習っているというかたも交えていろいろとお話し。山崎阿弥さんが今度参加するライヴのチラシを配りに来た。その中にSitaar Tah!というシタール奏者が20人いるというバンドのライヴ情報が。しかも対バンはAlaya Vijana(Ghost、ポチャカイテマルコの立岩潤三、倍音Sの岡山守治、ホーメイ歌手の山川冬樹などがメンバー)。これは行くしかない。

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すいへいせんのうきわ

イラストレーターの西山咲耶さん、久保かおりさんによる2人展を観に神保町の文房堂へ。西山咲耶さんとは今年3月の鈴木翁二さんのライヴのときに知り合って今回DMをいただいた。文房堂ビルは画材屋、ギャラリーなどが入ったとても古くて味わいのある建物で、「すいへいせんのうきわ」と題されたその展覧会は、画材屋内部の中3F階段踊り場にある小さい貸しスペース、B-shopでおこなわれていた。会場を訪れたときには、西山さん、久保さんの作家2人と、お客さん1人がお話しをしていた。

2人のイラストは、作風が似ていると言われることもあるらしい。確かに醸し出す雰囲気はどちらもほのぼのとして女の子らしい雰囲気。でも単にカワイイというところに落ち着いてしまわないのびやかさが感じられる。入り口近くにある、A4くらいの平行四辺形の紙を16枚くらいつなげた作品は、柔らかい線の感じですぐに西山さんの作品だとわかった(西山さんの作品はウェブでしか観たことがなかったのだけれども)。想像力が膨らむままにいろいろなものを配置した架空の風景画のようで、隅ずみまで見渡しても飽きない力作。紙のつなぎ目のところを折っていくと、小さくたたむことができるようになっているらしい。

久保さんの作品はどれも線がかちっとしていて、色とりどりの作品でもそれぞれの輪郭がはっきりしている。でも絵のモチーフはやはりお互いに共通点があるみたい。シンプルな線画のイラストだと、キャプションがなければどちらの作品か一見して区別がつきにくい。西山さんは、「1年くらい前に描いた作品もあるので作風が全然統一されていない」と言って気にしていたけれど、そのような線画の作品はもしかしたら古い作品だったのかもしれない。西山さんは自作の絵本も出品していて、製本がキレイにできていないことも気にしている様子だったけれど、製本技術は別として、各ページに描かれたイラストはとても素敵で気に入った。

そのうち閉店時間がやってきたのでみんなで外へ。西山さんとごはんでも食べようということで歩き始めたけれど、今日P-HOUSEでバ  ング  ント「跡」展があるという話をしたら、西山さんもぜひ行きたいとのこと。バ  ング  ント「跡」展については、こないだまでP-HOUSEでおこなわれていた展覧会「バ  ング  ント」の会期終了後を見せてしまうという1日限りの企画。飴屋法水が会期中閉じこもっていた箱の内部が公開されるという。この「跡」展については、「バ  ング  ント」のサウンド・インスタレーションを担当した大友良英のblogでつい前日に知ったばかり。

地下鉄を乗りついて六本木へ。P-HOUSEの中は、混雑しているというほどではないけれど、たくさんの人がいた。大友良英や八谷和彦の姿も。切ったスイカなども置いてあり、ちょっとした打ち上げっぽい雰囲気。

飴屋法水が閉じこもっていた箱の中には、着替えた服などを入れたビニール袋やペットボトルの水、缶詰の流動食、バケツなどが雑然と残されていた。汚物はどうしていたのだろうということが一番気になっていたのだけれど、つまり極力その心配がないように流動食と水のみで生活していたということなのか? 床面には「空気穴」とキャプションがつけられた指をつっこめるぐらいの大きさの穴がある。

その脇では、会期前に飴屋法水が箱に入る際の、スタッフがしっかり釘を売って閉じ込めているヴィデオを上映。顔のない証明写真を撮る器械は撤去済み。会期中、写真を撮った人が自由に壁に貼っていった写真は、ギャラリーの壁の隅にかためてきちんと並べて貼られている。

奥のほうの部屋では会期中におこなわれたライヴのヴィデオ上映。石川高(笙)とSachiko M(サイン波)による「モ ュレ シ ン」の演奏と、大友良英のアコースティックギターソロの演奏が交互に流されていた。そこで西山さんはお友達を発見。

「モ ュレ シ ン」は、生で聴いていたらどうだったかわからないけれど、笙とサイン波の音が交じり合って一つになっているように聴こえるのがおもしろい。大友良英のアコースティックギターソロは、一音鳴らしては目の前のテーブルで何か線のようなものを書いていく(紙に書かれた「君が代」の歌詞かあるいはコードを消していっている?)。

ギャラリー壁面の大友良英によるサウンドインスタレーションは取り去られて、ジャックが取り除かれたヘッドホン用の穴からはむき出しの配線。でも椹木野衣のテキストは読むことができるし、その他多くの展示品がそのまま残されている。さらには小田マサノリによるテキストやサウンドによる介入作品が追加で展示。ヘッドホンでずっと聴いていると、何分かに一回突如として大音響のノイズが聴こえる作品があり、たまたますぐ近くにいらっしゃった小田マサノリさんご本人に尋ねてみたところ、飴屋法水が閉じこもっていた箱を電動ドライバーで開けたときの音を録音したものだそうだ。

ヴィデオも残された展示もひととおり観終わったあと、西山さんとそのお友達の宮崎さん、わたしの3人でサイゼリアへ。わたしと宮崎さんはけっこうがっつり食べたけど、西山さんは展示を観たショックであまり食欲が出ないと言う。西山さんは美大生で宮崎さんは建築が専門の大学院生。2人ともわたしよりずっと若いのだけれど、音楽、アートなどすごく詳しくて、いろいろなことに興味を持っていて、しかもイヤだと思うことのセンスがわりと似ているかも。いろいろと話がはずんで、楽しいひとときを過ごすことができた。

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3つの雲

辻直之さんの木炭アニメーション作品、『3つの雲』を観に渋谷のUPLINK Xに行った。『3つの雲』は、『呼吸する雲』(2003年/3分10秒)、『雲を見ていたら』(2005年/5分26秒)、『雲から』(2005年/3分50秒)という雲に関する3つの作品から成る3部作で、今年のカンヌ国際映画祭監督週間の正式招待作品である。『呼吸する雲』のパートは、去年UPLINK FACTORYで辻直之さんの作品が一挙上映されたときに観ているけれど、残りの2つのパートを観るのは今回初めて。

会場にたどりつくと、入り口のところに辻さん、音楽担当の高梨さんがいらして、高梨さんが挨拶してくださった。辻さんは2-3回ぐらいお話したことがあるけれど、高梨さんはたぶん去年の一挙上映のときにしかお会いしていないと思う。むしろ辻さんはわたしのことはあまり覚えていなさそうな様子なので、わたしのほうから挨拶。場内では写真家の遠藤さんに遭遇。上映がはじまるまでいろいろお話しをした。

『呼吸する雲』は、木炭で描かれた雲のなかに絡み合う男女の姿が浮かび上がってくる。エロティックで、ちょっと夢見心地な雰囲気の作品。『雲を見ていたら』は中学校の教室で男子生徒がノートに描いた雲の絵が飛び出して増殖し、次々と教室内の生徒の鼻から吸い込まれていく。それは体内に入り込んで増殖していく病原体のようでもあり、逆に雲に飲まれてしまったかのように生徒たちの体が次々と変容していってしまう。どこか不吉な雰囲気を醸し出す映像。『雲から』は、雲の上に寝そべっている小さな人々がベルの音を合図に一人、また一人と地上の街角に飛び降りていく。その様子はなぜか妙にテキパキとしていて迷いがなく、飛び降りていく人同士はまったく関わりを持たない。天空と地上を自由に行き来する人々は、とても自由で軽やかにも見えるし、何か大きな力によって操られているような心もとない雰囲気でもある。心地よくもなんだか不思議な感触を残す作品だった。

これらの木炭画アニメーション作品は、木炭で紙に描かれた線画のイラストを1コマずつ撮影して作られている。部分的に消しては線を描き加えるという作業を地道に繰り返すことにより、映像に動きが生まれる。線を消した部分は、まるで残像のように薄く跡が残るので、1枚の紙でカットを撮り続けている間、失敗は許されない。数分の作品でも、非常に手間と時間のかかる作業の積み重ねによって作り出されているわけなのだけれど、そのような手間をかけられた作品も上映はあっという間。消した線の跡が薄く残る画面の中、まるで雲のように自在に形を変え、場面が変容していく映像を観る行為は、ほとんどマジカルとしか言いようがない。ちなみに同様の手法による木炭画アニメーションの作家としてはウィリアム・ケントリッジが思い浮かぶ。ウィリアム・ケントリッジの作品は2001年の横浜トリエンナーレ、2002年に水戸芸術館でおこなわれた「スクリーン・メモリー」展などで観たことがあるのだけれど、やはり非常にすばらしかった。

『3つの雲』3部作のあとは、辻直之さんの旧作上映。いずれも去年の一挙上映でも観ている作品だけれど、以下のとおり近作から順に上映された。

『闇を見つめる羽根』(2003年/17分/木炭画アニメ)
『experiment』(1997年/4分/コマ撮り+ペン画アニメ)
『夜の掟』(1995年/6分/木炭画アニメ)
『消えかけた物語たちの為に』(1994年/10分/人形アニメ)
『覚めろ』(1992年/4分/人形アニメ+ペン画アニメ)。

『闇を見つめる羽根』は、去年カンヌ国際映画祭監督週間に招待された作品。旧約聖書の天地創造やノアの箱舟をもイメージさせるダイナミックな世界観、果てしない拡がりを見せる想像力に心を奪われ、圧倒されてしまう力作である。去年観たときのトークショーでは、長い中断をはさんだりもしながら数年かけて描いて撮り続けた作品と話していた。映像作品が持つ画の迫力ということで言えば、これまでに観た辻さんの作品のなかで一番すごいと思う。

『experiment』はタイに旅行したときにコマ撮り撮影された風景と、右端の細長いペン画アニメーションのエリアに画面が分割されているという実験的な作品。色鮮やかな風景と空の青さが印象的。実写の風景を取り込んだこの作品は、辻さんのフィルモグラフィーの中では異色と言うことができそう。

人形アニメの手法が用いられた初期の作品は、やはり非常に丁寧なつくりで観ごたえがあるし、レベルも高いと思う。しかし、シュヴァンクマイエルなどシュールなチェコアニメの影響がもろに見受けられてしまう点が残念と言えば残念。辻さんのイラストはとても素敵なので、やはり木炭画アニメの作品のほうがより興味深く観ることができる。ペン画アニメもやはり辻さんのイラストに味わいがあってなかなか良いのだけれど、残像のように消した線が残っていく木炭画アニメの映像は、より情感豊かに伝わってくるような感じがする。

『夜の掟』は、辻さんが手がけた最初の木炭画アニメ作品。やはり近作のほうが木炭画アニメの特徴を存分に生かした躍動感を感じることができるけれど、この作品の静かで暗い感覚もぐっとくるものがある。

上映終了後はドラァグクイーンのヴィヴィアン佐藤をゲストに迎えてのトークショー。しかしまだ到着していないとのことで、この上映の企画者である鈴木朋幸によるインタヴュー形式で辻さんのトークがはじまった。『呼吸する雲』は、最初から最後まで1枚の紙しか使っていなくて、その1枚の紙に消して書き足していくのみで完結している1カットの作品なので、今までで最も短い制作期間でできたとのこと。この作品を作ったあと、雲に関する3部作にしようと思って残りの2作品を作ったのだそうだ。『雲を見ていたら』は、描いているうちにどんどん怖い作品になってしまったと思い、最後の『雲から』は少しほっとできるような作品にしようと思って構想したとのこと。

やがてヴィヴィアン佐藤が到着。ヴィヴィアン佐藤は、ドラァグクィーンとしてパーティやイヴェントに出演する以外にも、店舗ディスプレイやイラストレーション、ライターとしても活躍している。イラストを描くことにより、その副産物のような形で映像ができていく辻さんの手法のおもしろさという観点から、短い残り時間のなかで手際よく語っていた。それに対して辻さんは、「イラストは昔から好きで描いているのだけれど、描いているうちにだんだんのってきて、むしろ描かされてしまうようなところがある」というような発言。

トークのあとは『3つの雲』の撮影に使われた原画イラストが展示されている階下のギャラリーに移動。ギャラリーといっても、バーカウンターの後ろがショーケースのようになっているささやかなもの。原画イラストは、それぞれのカットの最後のコマで撮影されたものになる。だから、1カットで完結している『呼吸する雲』の原画イラストは1枚だけ。原画イラストは最終カットの絵にあたるわけだけれど、消した線が何十もの層のようにうっすらと残っていて、そのカットの映像のすべての痕跡をじっくりと目にとどめて観ることができる。

去年のUPLINK FACTORYでの上映時は『闇を見つめる羽根』の原画を観ることができたのだけれど、それに比べると『3つの雲』の原画は紙のサイズが小さい。辻さんに直接尋ねてみたら、「大きい紙だと制作に時間がかかりすぎてしまう」とのこと。トークショーでも、「描いているうちにどんどんテーマが膨らんでしまってわかりにくいものになってしまう」ことを気にしていた様子だったので、『闇を見つめる羽根』での反省点を踏まえて、今回は短期間での製作を心がけたのだろう。伝えたい内容もコンパクトで、わかりやすいものになったと言うことができるかもしれない。とはいえ、数分間であっというまに作品を観終わってしまう観客にとって、1度観たぐらいで伝わってくるイメージはかなり抽象的なものとならざるを得ない。

その一方、1つのカットに何日も費やして作品を作り上げていく作家にとって、作品に具体的な思いがいろいろと籠められていることは間違いない。「『呼吸する雲』はエロティックな感じの作品だけれど、『雲を見ていたら』と『雲から』にはそういう要素がないですね」ということを話したら、「『雲を見ていたら』はとにかくとんでもなく怖いホラー映画をつくってしまって、自分でもこんなに恐ろしい作品にしてしまって良いのだろうかと思った」というような答え(トークショーでもそのことを話していた)。話が噛み合っていないなと思ったけれど、辻さんと話していると、とにかく作者としての作品に対する強烈な思い入れが伝わってくる。辻さんのイラストのタッチはちょっとほんわかしたところもあるし、ぱっと観た雰囲気ではホラー映画と言ってしまうほどの印象は受けなかったというのが正直なところ。なんとなく薄気味の悪いような、ちょっと怖い印象は確かにあったのだけれども。上映された作品を観ても、その思いのほんの数パーセントしか受け止めることができていない、もしかしたら全然違う方向性で作品のことを受け止めているのかもしれないという当たり前のことを思い知らされて、なんだか申し訳ないような気分にすらなってしまった。

そのようなわけで、上記の『3つの雲』に対する感想は、観たそのままの印象というよりは上映後に辻さんに聞いた話の内容を踏まえたものになっている。それでも、まだ自分の感想にそんなに自信があるわけでもない。別に批評じゃなくて感想なのだから何でもいいのだけれど、やはり作家に対する敬意というものがあるならば、それなりの方向性できちんと受け止めて捉えることが重要なのであろうと個人的には思っている。

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蒼二点

千石の三百人劇場で「ソビエト映画回顧展」開催中。第二次世界大戦中、1943年のマルク・ドンスコイ監督作品、『戦火の大地』を観る。チラシによれば「ウクライナが舞台のリアルタイム反ナチ抵抗映画の傑作」とのこと。ドイツ軍による占領下で祖国への誇りを失わずにたくましく生活する民衆を描いたばりばりのプロパガンダ映画だけれど、とても戦時中に作られたとは思えないような丁寧で美しい画。こういうところ、さすが旧ソ連と感心。

それからバスで移動し、上野の国際子ども図書館3Fの本のミュージアムで開催されている展示「ロシア児童文学の世界~昔話から現代の作品まで」を観覧。ガラスケースに入っていてページをめくることもできないけれど、美しい装丁や挿絵を眺めているだけでもかなり満足(「世界を知るへや」という図書室で実際に読むことができる絵本も数冊あり)。

それからまたバスで千石まで戻ってアレクセイ・ゲルマンによる1976年の作品、『戦争のない20日間』を観た。すでに観ている作品なのだけれど、戦時中の緊張感とささやかにロマンチックな平常の生活のコントラストがなんともいえない。また何度でも観たいと思う映画だ。

午前中からロシア三昧の忙しい一日だったけれど、夜は江古田のCafe FLYING TEAPOTで蒼二点のライヴ。7時ぐらいからだと思っていて、江古田についてからもCD屋とかBOOK OFFなどふらふら寄り道してからお店に向かうと、なんと入り口に5時半スタートと書いてある。出演順も把握していなかったので、蒼二点が終わってしまっていたらどうしようと思いつつも店内へ。

ステージにはキーボードx2、エレクトリック・ギター、そしてMCをしている人の4人。何かのバンドの演奏中なのだろうと思っていたら、MCをしていた人は数分喋りたおしたあと客席へ。単なるトークタイムだったのか? でもおもしろかった。離婚した奥さんの話など、内容は深刻なものだったけれど。

ステージに残った3人はアーバンギャルズというバンド。ギターの人の弾き語りが主体となっているけれど、合いの手を入れるようにヘンなことを弾いたり、ヴォコーダーなども利用してコーラスを入れる鍵盤2人の演奏がおもしろい。ギターはかなり投げやりなコードカッティングのみ。全体的にかなりゆるいノリだけれど、ヴォーカルの声が良くて意外と聴きやすい。

次がJON(犬)。イヌの着ぐるみを身につけて足踏みオルガンを演奏。5年くらい前に観たことがあるけれど、その時の印象とほとんど変わらない。「川くだり、川くだり、男の世界」って唄う曲がインパクトがあって記憶に残っていたのだけれど、今回もその曲を演奏していた。映画「フィッシング・ウィズ・ジョン」の曲だと紹介していて、そうだったのかーと思う。相変わらずといえば相変わらず、でも独特の味わいがあって良かった。

蒼二点の出番は最後。蒼二点のライヴを観るのははじめて。メンバーはすずきあおい(ヴォーカル/トイピアノ)、荻野和夫(リュート)の2人に、今回はゲストで壷井彰久(ヴァイオリン)が加わっている。ゲストとはいえ、壷井彰久の活躍がめざましい。ポリフォニックな旋律によるソロを聴かせるときもあれば、ニュアンス豊かな流麗なメロディを奏でることもあり、あるいはピチカートでそっと唄のバックに彩りを添えるなど、曲によって自由自在で幅広いテクニックを駆使していた。しかもどれも非常に曲に素直にあったアレンジ。前から蒼二点のメンバーとして一緒に活動しているかのように自然に溶け込んでいて、ひたすら、うっとりと聴き入ってしまった。

それに対し、荻野和夫のリュートは音量バランス的に少し奥に引っ込んでしまっていたのは否めない。でも全体の音数が少ないから、集中して聴けばリュートの音色もしっかりと聴こえる。弦を慎重にはじく指使いのやさしさがそのまま音になったような、柔らかいけれど楽器のボディが共鳴して豊かな響きのある音。この編成のなかにあっては、小さい音でもしっかりと曲を支えていて、サウンドの要となっていた。荻野和夫のリュートの演奏を初めて聴くことができたのがとても嬉しい。

すずきあおいは、トイピアノのほかにフィンガーシンバルなども使用していたが、曲によってかすかにヴォーカルの合間に音を添える程度。楽器の演奏は必要最小限で、ヴォーカルに注力している様子。美しくて端正な唄声だった。でも時折かすかな息づかいで微妙に声を震わせたりもして、ちょっと大人っぽい、色っぽい雰囲気。特にオリジナル曲の「私達は遠い星」で、微妙にけだるい感じで唄うのが印象的だった。

演奏曲はオリジナル曲が数曲に、あと古楽やトラッド、ロックのカヴァーなど。意外なところでは Nirvana の"Smells like teen spirit" を演奏。唄も楽器も目立つ旋律はしっかりそのままコピーしていて、構成もかなり元曲に忠実だったと思うのだけれど、雰囲気はもちろん全然違っている。見事に蒼二点ヴァージョンとしか言いようのない演奏。でも他の曲に比べると、曲の最後のほうのサビではすずきあおいのヴォーカルがかすかにシャウトするような気力が篭っていたり、荻野和夫と壷井彰久の演奏もリラックスした雰囲気。曲の前のMCのとき壷井彰久が「ノリノリで行こう」とか話していたし。

途中のMCでは、メンバーが語る以外にもP.A.の吉田隆一が突っ込みを入れていてとてもおもしろかった。ステージ(といっても段差があるわけではないけれど)にいるわけでもないのに、ハンドマイクを手にしてかなりたくさん喋っていた。他のバンドのセッティングもサポートしていたからてっきりお店の人だと思っていたのだけれど、そうではなくて蒼二点でP.A.をやってほしいとお願いされて今回来たのだそうだ。本来はバリトン・サックス奏者で、東京中低域に参加しているらしい。「今度はP.A.ではなくて演奏で誘ってください」という発言に、荻野和夫が「蒼二点にサックスはちょっと」というようなまじめな受け答え。つい背筋を伸ばして聴いてしまうような高尚な演奏の曲間で、何度か大笑いしてしまった。

終演後、楽器を片付けながらお客さんの相手をしていたメンバーの横を通り、忙しそうだからそのまま帰ろうとしたら、なんと荻野さんのほうから声をかけてくださった。お会いしたのは6月のDamon & Naomi with Kuriharaの帰りにエレベーターで一緒になってお話ししたときだけなのだけれど、覚えてくださっていて非常に感激。初めて観る蒼二点のライヴは本当にすばらしかったし、めいいっぱいの充実感に満たされながらお店を後にした。

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狂った一頁

「バ  ング  ント」展を観たあとはSUPER DELUXEに移動。映画『狂った一頁』の上映にあわせて千野秀一(ピアノ/ラップトップPC)、上野洋子(ヴォーカル/パーカッション),AYUO(ギター)が演奏するイヴェントを観た。

最初は映像なしで、中原中也の詩にAYUOが曲をつけたものを3人で演奏。このときは千野秀一はピアノ、上野洋子がヴォーカル。AYUOはアコースティック・ギターにフィルター系のエフェクトをかけたふわふわした音で弾いていた。特に奇をてらうことのない素直なアレンジと演奏でなごやかな雰囲気。中原中也の詩は友川かずきなど多くの歌手に取り上げられているけれど、女性ヴォーカルで唄われるのは新鮮な感じがした。とはいえ、意外と違和感はない。

そのあとは映画の上映に合わせての演奏。『狂った一頁』(1926年/新感覚派映画連盟/59分)は川端康成の脚本を衣笠貞之助が製作・監督した無声映画。精神病院を舞台にし、さまざまなイメージが交錯するシュールな映画である。しかし病院に小間使いとして勤めて発狂した妻の世話をする夫、母親が狂人だから結婚できないという娘、そして脈絡なく挿入されるイメージのなかに出てくる当時の町並みなどの映像からは、むしろほのぼのとした印象も受ける。それは演奏者の、特にAYUOの雰囲気によるところも多いかもしれない。ギターを弾く以外にも、弁士のようにセリフを喋ったりもしていた。千野秀一はラップトップPCから出すサウンドが中心で、ときどき小さいシンバルを叩いたり。表現主義の影響が色濃いアヴァンギャルドな映像に対して、効果音的なアプローチで音を挿入しているような演奏。上野洋子は、基本的に上モノ担当という感じで、小物パーカッションなどの演奏とヴォイス・パフォーマンス。わたしの位置からはよく見えなかったのだけれど、その場の雰囲気に合わせて次々と楽器を持ち替えていた様子。

白くペンキで塗られた壁にヴィデオ・プロジェクターでかなり大きく映写された映像は、映画として鑑賞するにはちょっと暗め。しかもピンボケ気味なのが気になる。まぁ映画を観ることを主眼と思うのでなければ特にケチをつけるほどのことでもないかもしれない。演奏者は多少映像に被さって、スクリーンの隅のほうに影を落とすような位置で演奏していた。ものすごくテンションが高いとか、心を揺り動かさせられるような演奏が繰り広げられていたということもないのだけれど、3人とも素直にそれぞれの持ち味で音を出しあっている様子がいい雰囲気で、なかなか興味深いイヴェントだった。

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バ  ング  ント

ア ヤ   ズ エキシビション「バ  ング  ント」を観に元麻布のP-HOUSEに行った。90年代半ばに「動物堂」を開店して以降、アートの世界ではほとんど名前を聞くことがなかった飴屋法水による久々の展覧会である。P-HOUSEもまた、恵比寿でギャラリー&カフェとして営業していたのが数年前に無くなり、このたび元麻布で再開とのこと。

飴屋法水は、911のテロによる貿易センタービル跡地の映像にインスパイヤされて、今回の展覧会の「消失」というテーマを思いついたらしい。それでタイトルなどの文字がところどころ空白になっている。なるほどわかりやすい。しかし「消失」というテーマは相当に深い。東京グランギニョルやTECHNOCRATなどジャンルの幅にとどまらない活動をおこなってきた飴屋法水が、ここ10年近くも動物堂の店主という肩書きのみで世に出ていたというのは、それ自体「消失」と言うことができるだろうし、P-HOUSEにしたってそうだ。

展覧会にはミュージシャンの大友良英、美術評論家の椹木野衣も参加。このメンバーからは、P-HOUSEよりはむしろ梅屋敷にあったレントンゲン藝術研究所を思い出してしまう。P-HOUSEは恵比寿以前の渋谷のマンションの一室のようなところでやっていたときから訪れているけれど、いわゆる現代アートのギャラリーというよりは雑多なサブカルチャーを扱うオルタナティヴ・スペースという印象だった。あの頃と今とでは、世の中はけっこう変わってしまったなと思う。わたし自身は、変わった部分もあるけれど、おそらくたいていの人からみれば全然変わっていないと言われてしまいそう。

日本の現代アート界がまだ微妙にバブルを引きずっていた90年代前半あたりと、今現在との違いに思いを馳せるほど、この「バ  ング  ント」展が非常に象徴的なイヴェントであるように感じてしまうのだけれど、別に今のわたしとしてはお祭りに参加したくてアートを観るわけではないのだ。展示内容についても、実際に行った人の話や、事前にインターネットに流れる情報を読んだりしてすでに知っていたから、実際にギャラリーで作品を観ることによって、これ以上にいったい何を思うだろうという気持ちを抱きながらP-HOUSEを訪れた。

展示のメインは、ギャラリーの中に設置された白い箱のなかに飴屋法水が閉じ込もっていて、会期中(7月29日~8月21日)ずっとその中で過ごしているというもの。箱をノックすると、中からノックで返事が返ってきたりするらしい。また、真ん中の顔の部分だけ白く消えた状態で写真が写る証明写真のBOXが置かれていて、来場者が自身で撮った写真に一部を消した名前が書かれて壁に雑然と貼られている。

別の部屋の壁にはサ ラギノ (椹木野衣)のテキスト。確か怪獣がどうのこうのというような内容。やはり文字がところどころ消されている。そのテキストのあいだにはヘッドホンジャックのような穴が空いている箇所があり、備え付けのワイヤレスのヘッドホンを装着して穴を指でふさぐと、オ トモ シヒ (大友良英)によるサウンドを聴くことができる。サウンドは君が代の音を部分的に消したものらしいが、まるで原曲をとどめていなくて多くは抽象的な持続音のようなものと化している。でもノイズや喘ぎ声、ラジオの音のようなものもあった。いっぺんに2つの穴をふさいだり、穴をふさいだり離したりするのを繰り返すと、自分で演奏しているような気分になることができて楽しい。ちなみに大友良英の作品はトイレの中にも仕掛けてある。トイレの中に微弱な音がずっと流れているのだけれど、どこかをさえぎると消えるらしい。

ギャラリー内には「前所有者が死亡した後、所有者の確定しない土地と土について」「死亡した人間が所有し続ける車について」などと題されて登記簿がそのまま壁に貼ってあったり、ばっさりと切断されて中間部分がなくなった車の部分、それ以外にも細々としたものがいろいろ。

しかし、どうも全体的に無造作な感じのする展示である。壁のところどころ、下のほうに四角い穴が開いていて裏の配線が見えている。これは意図的なものなのだろうか。予算が足りなかったとかだったら悲しい。自由にねじを巻いて音を出して構わないというメトロノームはただ床にごろんと置いてあるし、虫眼鏡で覗くと人物の像が見える映像装置は、斜めから覗いても像が見えてしまう。ちなみにその映像装置はハ ヤ   コ(八谷和彦)による介入作品。

最後に飴屋法水が閉じこもっているという白い木箱をノックしてみる。もう会期がはじまってから相当経っているし、かなり衰弱してしまっているかもしれないと思ったけれど、わりと元気そうにノックの返事が返ってきた。会期が長いので、肉体的にも精神的にも大変だと思う。よくこんなことを考えたなとも思うし、こういう肉体の極限に挑戦するようなことをやるアーティストってけっこういるよなとも思う。でも本人よりもむしろギャラリーの人など周囲の関係者のほうが心配してハラハラしているのかもしれない。ずいぶんとお騒がせの展示でおもしろいと思うけれど、おもしろがるというのもなんだか不謹慎なようで、どう受け止めていいものやら悩む。

ギャラリー内ではばったり岩崎さんに遭遇。岩崎さんは3日前にここでおこなわれた、笙/イシ ワコ (石川高)とサイン波/ chik  M(Sachiko M)のライヴを観て非常に感激し、今日はあらためて展示をじっくり観にきたとのこと。ちなみにそのライヴの日はわたしは六本木ヒルズで「カバレット・アリーナ」を観ていた。つい3日前もすぐ近くにいて、そして今日ここで出会うとはなかなかの偶然。このあとわたしはすぐ近くのSUPER DELUXEにライヴ&映画を観に行くので、岩崎さんに挨拶して先にギャラリーを後にした。

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カバレットアリーナ

カバレットアリーナを観に六本木ヒルズへ。2月に観たカバレット・キネマと同じところが主催する企画で、CICALA-MVTAとあと数人のパフォーマーが出演。六本木ヒルズは、Super Deluxeに行く通り道として以外に立ち入ったことがない。場所は六本木ヒルズアリーナという広場なのだけれど、そこに行くのにエスカレーターをあがったり、階段を降りたり。六本木ヒルズ、このときのわたしの立場にしてみれば、嫌がらせのようにむちゃくちゃ広い。

開演時刻に10分ぐらい遅刻し、たどりついたときにはCICALA-MVTAが「不屈の民」を演奏中。今日のCICALA-MVTAは大熊ワタル(クラリネット)、太田惠資(ヴァイオリン)、桜井芳樹(ギター)、佐藤芳明(アコーディオン)、渡辺明子(トロンボーン)、関島岳郎(チューバ)、吉田達也(ドラム)、こぐれみわぞう(チンドン太鼓)というメンバー。太田惠資が参加しているのがうれしい。

CICALA-MVTAの演奏が一段落したところで三雲いおり(ヴォードビル)が場をつなぎ、新聞紙を使った山本光洋のマイムがはじまった。バックの演奏は太田惠資、大熊ワタル、吉田達也。太田惠資が調子よく唄いはじめたところで山本光洋が「しーっ」と静止させるからみなどあり。次のふくろこうじはあちこちに穴のあいた球の中に入ってごろごろ動きまわるオブジェクトパフォーマンス。ここまでの出演者は「カバレット~」の常連メンバー。

次のバーバラ村田(マイム)は肩に大きな人形を装着して、その人形と自身とまるで2人いるかのような器用な動きを見せる。お酒をついだり、抱き合ったり、踊ったりするやりとりがコミカルでおもしろかった。

最後は王輝(ジャンピングロープ)が登場。身長ぐらいの高さに張られた撓るロープを跨ぐような体勢で何度も飛び跳ねたり、ロープの上を歩いたりするパフォーマンス。ロープの上を飛び跳ねながら空中で体勢を変えたりする技を会場全体が固唾を飲んで見守っていて、技が成功すると大いに盛り上がる。カバレット・キネマのときは、場所の雰囲気ということもあるけれど、アクロバットの出演者がいなかったので、今回王輝のパフォーマンスを観ることができてとても良かった。

無料で観られてこれだけ充実したイヴェント。1時間という短い時間だけれど、全体の進行はそんなに慌ただしい感じでもなかったし、CICALA-MVTAの演奏も思っていたよりじっくりちゃんと聴くことができるような構成だった。普段六本木ヒルズなんてあまり行こうと思わないところなのだけれど、このような素敵な企画はまた観たい。

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真夏のキノ・キュッヘ

国立の飲み屋、キノ・キュッヘ(木乃久兵衛)でおこなわれた個人映像の上映会に行った。事前の告知にはなかった作品もあったのでこれであっているかどうかわからないけれど、上映作品はだいたい以下のとおり。

<個人映像プログラムA>
山崎幹夫『富士山へ飛ぶ夢を見るまで』8mm/25分/2005
水由章『瞬息8』
片山薫『新作』8mm/5分/2005
黒川芳朱『鏡水晶都市』16mm/5分/2005
末岡一郎『ドイツのひと夏』16mm/6分/2005
谷岡昭宏『salad film』16mm/3分/2005
高遠瑛『星の葬 -ホシノマツリ-』8mm→DV/25分/2004
寺嶋真里『エリスの涙』8mm→DV/15分・2004
万城目純『新作』8mm/10分/2005
森下明彦『灼熱の幻燈』幻燈/10分/2005

<オムニバス・ビデオ「ウォーター・マンダラ」>
乙部聖子、川口肇、中沢あき、山崎幹夫、高遠瑛、末岡一郎、森下明彦、万城目純、猪谷美夏、佐々木健、他

<個人映像プログラムB>
特別追悼上映:一瀬晴美作品『雨ふり』DVD/5分15秒/1993
小池照男『生態系-14-留』miniDV/13分/2004
桜井篤史+青井克己『囮の愛 瞑い悟り』miniDV/10分/2005
ヤン・ファベーク『On a Wednesday Night in Tokyo』miniDV/5.35分/2004
袴田浩之『背徳の音』miniDV/20分/2005
小口容子『ワタシの王子』Hi8/20分/2005
吉野哲平『The Wise-Woman's Prophecy』miniDV/6.5分/2005
真下大輔『echo of monochrome』miniDV/5分/2005
浅野優子『水母』miniDV/1分/2005
今泉晶彬『5カット映像作品集』miniDV/17分/2005
相内啓司『Aphrodita・金星』miniDV/10分/2005
佐々木健『sound of cooking』パフォーマンス10分/2005

こんなに上映作品が多いと観るほうも大変。それなりに気合を入れてのぞむつもりだったのだけれど、あいにく当日はひどい頭痛。でもせっかく久しぶりにキノ・キュッヘに行くのだからこの機会を逃したくない。観たことのない作品に出会うことはもちろんのことだけれど、佐々木マスターにお会いできるのも楽しみなのだ。

とても暑い日で、駅から徒歩15分くらいの道のりが遠かった。たどりついたときにはほっとしたけれど、頭痛が治る気配はなし。それでもAプロはそこそこしっかりした意識を保ちつつ観ることができた。ダンス白州で撮影して自家現像したという片山薫さんの映像は、ご自身による現地の様子の解説つきで上映。白州では片山さん、水由さん、末岡さん、黒川さんが映像ワークショップをおこなっているそうだ。末岡一郎さんのドイツで撮影された古い映像を発掘して構成した作品も素敵。寺嶋真里さんの作品、ご本人は「夫のドイツ出張についていってさくっと撮りました」というようなことをおっしゃっていたけれど、半ば偏執狂的とも言える美意識に圧倒される。一番インパクトがあったのは森下明彦による幻燈の上映。幻燈の装置自体はもしかしたら東京都写真美術館あたりで見たことがあったかもしれないけれど、このような上映会で幻燈を観るのははじめて。とても珍しい貴重な機会だった。

オムニバス・ビデオ「ウォーター・マンダラ」は、多数の作家が水にまつわる5分程度のヴィデオ作品をつなげて上映。人によって、撮影そのものはインスタントだけれどアイディアのインパクトで勝負というものもあれば、短い上映時間のなかで凝りまくって作家性を強く押し出ているものもある。全体的にはかなり訳わからない。もちろんみんな別々に作っているわけだから、あえてお互いに擦り寄ることなくそれぞれが持ち味を発揮するに越したことはない。その分観る側にとって無理やりの集中力を要する作品である。とりあえず山崎さん、佐々木さんの作品を観ることができて良かったと思う。とりあえずなんていう言いかたは失礼なのだけれど。

頭痛は治まらないし、あまりにも玉石混淆な作品鑑賞を続けてもうへとへとである。「ウォーター・マンダラ」も途中で意識がなくなったりしながら観ていたが、Bプロの後半の作品も記憶が途切れ途切れ。桜井篤史+青井克己の作品はすごかったけれど、届いたテープ自体がダビングのときのモードで失敗していたらしく、サウンドも映像も全編に渡ってノイズがまじってしまっていた。ヤン・ファベークはカメラ固定で渋谷駅から井の頭線に乗り込む客を映しただけの作品。ときどき利用している路線だからあの酔っぱらいラッシュの壮絶さはよくわかる。小口容子の作品は、あのような作品をつくり続けるパワーがすごいなと思うし、言葉の使いかたが印象的。最後は佐々木マスターの料理パフォーマンス。カセットコンロを使ってスパニッシュ・オムレツを目の前でつくり、そのときの包丁さばきの音や語りをサンプラーで次々と重ねていく。途中からじゃがいもがひたすら路上を転がっていく映像上映。いろいろと変わったパフォーマンスを観ることには慣れているつもりだけれど、佐々木マスターがこんな変わったことをする人だったとは。

すべての上映が終了したあとは打ち上げ。出品作家は、一人一品ずつ料理を提供ということになっていて、またたく間にたくさんの料理がテーブルに並ぶ。打ち上げがはじまってから料理をはじめた人もいて、もう食べきれないと思ったころにまた気合の入った料理が。先日LA CAMERAで知り合った袴田さん、寺嶋さん、それからだいぶ前に一度お会いしたことのある那田さん他いろいろなかたとお話しして楽しい時を過ごす。今日はじめて作品を観た作家さんともお話しをしたかったけれど、あまりに作品が多すぎていろいろ混ざってしまっていたり、ところどころ意識がなかったり。帰りは東京方面の中央線で高遠さんに日々の嘆きや愚痴をひたすら聞いてもらう。けっこう遅い時間で、わたしは終電で帰れたけれど他の人たちは大丈夫だったのかな?

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みみのこと

みみのこと4thアルバム「Green Mansion」発売記念ライヴを観に高円寺のShowboatに行った。

開演時刻に10分くらい遅刻し、一バンド目のINISIEの演奏がもうはじまっていた。佐藤賢太郎(ヴォーカル/ギター)、竹内(ベース)、柴田奈緒(ドラム)の3人組。ライヴを観るのははじめてである。ゆったりとしたテンポで唄を聴かせるバンドだった。1曲聴いたら、なんと次が最後の曲だというMC。最後の曲は、その前の曲と似たような感じだなと思って聴いていたら、最後のほうはテンポを一気にあげてギターを中心にかなり激しい演奏になって終わった。

次はスズキジュンゾ。ギター弾き語りソロだからセッティングが早い。スズキジュンゾさんは非常に精力的にライヴ活動をしているけれど、観るのはかなり久しぶり。前半はクリアな音で、ルーツミュージックぽいけれどあえて泥臭さを排除したような演奏。合間に言葉を切れぎれに吐き出すようなヴォーカル。後半はかなり歪んだ音で、ノイジーなギターの響きそのものを聴かせるような演奏。以前はちょっと小手先のテクニックを駆使しているようなあざとい感じもしていたのだけれど、しばらく観ていないあいだに非常に良くなった。やはりたくさんライヴをこなすというのは重要なことなのだろうなと思う。

そして次がみみのこと。最初から、ドラムの志村さんが一人でやたらテンションが高い。この前にみみのことを観たときも、志村さんの演奏がすごくさえていて印象的だったけれど、今回はそれに輪をかけて叩いているときの表情がすごく嬉しそう。1曲終わったところで、志村さんが立ち上がり「みみのことです。」とMCをはじめた。は、いつもはみみのことのライヴでそういうことはない。割礼のドラムの松橋道伸のMCを思い出してしまう。あんなふうにハキハキとMCするわけではないけれど。ギター/ヴォーカルの川口さんはむしろ、レコ発だからって特別なことはないよとでもいうような風情。

2曲目が終わったところでは川口さんがMCをした。実はCDがまだできていないという。発売日は8月25日。まぁレコ発というにはちょっと早いタイミングかもしれない。今日予約をすると、おまけにCD-Rつきで発送してもらえるとのこと。妙に得意げに話していて、意外と緊張感なさそうというべきか、リラックスしていて調子良さそうというべきか。川口さんは演奏もかなりリラックスした雰囲気で、それはそれで良いのだけれど、すっかり志村さんの異様なぐらいのテンションの高さに喰われている気が。ベースの竹内さんもとりたてて自己主張の強い演奏はしない。でも今年みみのことに加入して以来だいぶ慣れてきて、素直に自身の持ち味で曲に合わせるようになってきたと思う。

最後の曲あたりで、やっと川口さんが志村さんに負けない激しいテンションで弾きまくる。決してそれまでがダメだったというわけではないのだけれど、志村さんのテンションの高さに川口さんは拮抗している感じがしなくて、バランス的にかなり謎な雰囲気だったのだ。まぁしょっちゅう観ているバンドだから、そのときどきでいろいろ違っているのはおもしろくて良いのだけれど。でも最後の曲の調子でもう2-3曲聴きたかったなと思う。レコ発なのに4曲30分は短すぎ。

最後は三上寛+JOJO広重+山本精一。三上寛+JOJO広重のデュオは、去年のPSF/アルケミーレコード20周年記念イヴェントで観ているが、それはとてもすばらしくて感動した。今日は山本精一も加わっていったいどんなふうになるか楽しみ。三上寛+JOJO広重デュオのときもそうだったけれど、三上寛が自身の曲を演奏し、他の2人が合いの手をいれるようなスタイル。JOJO広重も山本精一も、三上寛の唄をしっかり聴かせるように静かにぴたっと音を出すのを止めたかと思うと、突然激しい演奏になだれ込む。JOJO広重のまるで金きり声をあげるようなノイズに山本精一の壮絶なソロ。山本精一はギターだけでなく、ドラムを叩いたりSEを流したりもしていた。山本精一は羅針盤、ROVO、ソロ、その他いろいろな人とのインプロヴィゼーションなど何回となく観たことがあるが、今回ほど次の予想がつかない多彩な演奏をするのを観たのははじめて。ドラムを叩きながら淡々といろいろな人の名前を連呼したり、曲の脈絡を崩すかのようにいきなり「応答せよ、応答せよ」などと叫んだり。三上寛、JOJO広重はここ数年わりとよく観ているので、まあ予想の範囲内。この2人のデュオだったら、もっとシリアスに打ちのめされるような重々しい雰囲気になったと思うけれど、山本精一がいい具合にかき回していておもしろかった。特にBANG!のときのめちゃめちゃな混沌とした雰囲気はすさまじかった。アンコール1回、1時間あまりの演奏。他の出演者の演奏時間がそれに比べてだいぶ短かったのは不満だけれど、今後そうそう実現しそうにもない組み合わせを大いに満喫した。

ライヴ終了後はCDを予約し、物販のところにいた川口さんに挨拶。みみのことを「もっと長く観たかった」と話したら、最近いろいろうるさいらしくてShowboatは夜10時までに演奏を終了しなくてはいけないのだとか。わたしも2年前ぐらいに出演したことがあるけれどあの頃はどうだったかな。今日の観客はやはり三上寛+JOJO広重+山本精一(特に山本精一)目当てで来ている人が多かったような気がするけれど、みみのことのCDを予約している人もかなりいたし、川口さんもなかなか上機嫌な様子だった。

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新宿のHMVで友人の北橋さんと待ち合わせ。共通の友人である山下さんがドラムを叩いているバンド、殻のライヴを観に新宿のurgaに行った。7時開演の3バンド目ということで、いろいろ寄り道をして8時半ごろurgaに到着。まだ余裕があると思っていたが、すでに殻のセッティング中だった。

ドリンクを交換して前のほうへ。後ろのほうにやたら人が溜まっていたけれど、前のほうはすいていてステージがメンバーの足元までよく見える。こんなに前で殻を観るのははじめてだったのだけれど、機材の量がすごい。上手側のギターの人はマルチ・エフェクター、スイッチが10個以上、ペダルが2つついているLine 6のコントローラー、それにワーミー・ペダルなど単体のエフェクターも接続。アンプも持ち込みで、Line6のヘッドを2段重ねのスピーカーの上に乗せている。下手側のギターの人は単体のエフェクター多数、さらに脇にも何段も重ねたラックのエフェクター。ベースの人もコンパクトエフェクターを3-4つぐらいつないでいた。ドラムの山下さんのセットは、タム、バスドラは見たところ普通だけれど、スネア2つ、シンバルたくさん。

ヴォーカルの人は、他のメンバーのセッティングが終わった頃になっても手ぶらでステージにたたずんでいる。マイクスタンドはどこにあるのだろうと思っていたが、まもなく演奏がはじまると、床にじかに置いてあったマイクを拾い上げた。前に観たときは、マイクスタンドに小さいランプをつけて、下から光が当たるように演出していたのだけれど、この日はずっとハンドマイクでヴォーカルをとっていた。

演奏中もやたらにギター2人の機材が気になってしまう。特に上手側のギターの人は、狭いステージなのにものすごく長いケーブルを使っていて、何重にもとぐろを巻いている。特に動きまわるわけでもない。あまりに長いケーブルだと音質の劣化などもあるのではないかと思うのだけれど、電源もごついのを使っているし、そういうことには十分に気を使っていると思われる。うーむ、これもまぁ一つのこだわりというものなのだろうか?

機材のことや、ヴォーカルの人がいつもと違ってハンドマイクで唄っているのが気になって、いまいち演奏に集中できない。でも演奏自体はほとんどアラがなく、今までに観た殻のライヴのなかでもよい出来だったと思う。ただ、今回の選曲はわりと似たようなタイプの曲が多かったのが残念。

演奏終了後は次のバンドのセッティングのための入れ替えが大変そう。山下さんも機材が相当多いから、持ち込みのシンバル類はまず客席に移動。忙しそうなので軽く挨拶して、北橋さんと飲みに出かけた。

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長沢哲 Duo Ensemble with 三浦陽子

長沢哲 Duo Ensemble with 三浦陽子を観に荻窪のvelvet sunに行った。長沢哲さんの出番は2バンド中2番目。出演予定の時刻に30分近く遅れてしまったのだけれど、幸い時間が押していて、最初から観ることができた。ステージ下手側にはグランド・ピアノ、上手側にはドラムセット。着いたときにはもうほとんどセッティングが済んでいて、カウンターでお金を払ってドリンクをもらったらすぐ演奏がはじまった。

ピアニストの三浦陽子さんを観るのははじめて。velvet sunに来るのもはじめてである。ライヴハウスというよりはバーのような雰囲気のお店なのは予想通りだったけれど、通りに面した1階にあるのが意外だった。青梅街道沿いの騒々しい立地だから特に問題ないのかもしれないけれど、スケジュールをみるとけっこう爆音の人たちも出演している様子。

1曲目のときは、わりと不定形のリズムパターンで、即興演奏だと思って聴いていた。でも、2曲目以降は一定のリズムパターンが持続する部分も多く、あらかじめ作曲された曲なのだなと認識。というか、2曲目が終わったあたりのMCで曲紹介をしていたから、それ以降は作曲された曲であることは自明だった。

作曲されたものであるという前提で聴いていなかった最初のうちは、三浦陽子さんのピアノはちょっとつかみどころがないような感じがした。それは決して悪い意味ではなく、あまりわたしが観たことがないようなタイプの演奏だったということ。豪快さとか華麗な印象とは遠く、とてもストイックで繊細な演奏。でも決して弱々しいことはなく、どこか確信に満ちた芯の強さを感じさせる音だった。たぶん、作曲の時点でイメージしているものがしっかりしているのだと思う。

長沢哲さんのドラムセットは、今まで良く観てきたロートタム主体のセットではなく、普通のロックバンドのドラムのようなセットだった。スティックも、最後1-2曲を除いて先まで木の普通のスティックを使っていた。片手は細かい刻みで一定のリズムをキープし、もう片方の手はそのすきまを狙うような不定形のリズムでアクセントをつけていくような技を多用。でも、局所的に激しい強弱をつけて鋭く叩いたり、シンバルを思い切り響かせたりする場面も。右側のライドシンバルは、数箇所の小さい穴にネジみたいなものがセットされていて、ジリジリジリーと響く妙にひっかかりのある音を発していた。常にドラムが出すヴォリュームの総量を計算してピアノの音を掻き消さないようにしながら、その中でリズムのパターンを組み立てていっているような感じがする。あまり極端な起伏をつけることがないような三浦陽子さんの演奏に対し、長沢哲さんはむしろそれを補うように随所にアクセントをつけていき、特にあとのほうの曲になるほどメリハリのあるドラミングになっていった。最後はちょっと神経をさかなでるような間を大事にした曲で、長沢哲さんのドラムも効果音的に音を添えていくような感じで、60年代の前衛映画のサウンドトラックみたいなシャープでスタイリッシュな雰囲気を感じた。

あとで長沢哲さんに聞いたところによると、このユニットでは三浦陽子さんが書いた曲を演奏しているとのこと。確かに演奏を観ていてそうだろうなと思っていた。三浦陽子さんは、ソロで演奏してもほとんど同じような演奏をしそうだけれど、長沢哲さんのドラムは、ソロやギタリストの小沢あきさんとのデュオでやっているときとはまた全然違う感じだった。たぶん三浦陽子さんの曲に素直に合うように演奏しているのだと思う。

ライヴ終了後は長沢暁さんとお話し。暁さんは名古屋までKUDAN Project『百人芝居◎真夜中の弥次さん喜多さん』を観に行くそうだ。いいなぁー、わたしのまわりにはこの公演を観に行く人がけっこうたくさんいる。あと、こないだ観た西尾彩さんと吉田稔美さんの2人展のことなどで盛り上がる。帰りは荻窪からではなく、南阿佐ヶ谷の駅まで歩いて帰ってみた。

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