« すいへいせんのうきわ | Main | 割礼 »

坂道の空地

長沢哲さん(ドラム、パーカッション)と山崎阿弥さん(ヴォイス)によるデュオのライヴ、「『坂道の空地』 -- 音と声と言葉の間、の時間 --」を観に荻窪のひなぎくに行った。長沢哲さんは多くのミュージシャンとデュオでライヴをおこなっているが、この顔合わせははじめて。わたしは山崎阿弥さんのことは全く知らなかったのだけれど、長沢哲さんの強い希望により実現した企画なのだそうだ。

2人が位置につき、はじめて山崎阿弥さんが女性であることに気がついた(男性かなと勘違いしていた)。椅子に座っておもむろに靴を脱ぎ、マイクに向かう。最初のうちはマイクからかなり離れて、声なのか発信音なのか判別しがたいような、やっと聴こえるぐらいの小さい声を持続。長沢哲さんがそこに効果音風の音を入れて場の雰囲気をつくっていく。それから山崎阿弥さんはマイクに近づいたり遠ざかったりして声に変化をつけていく。マイクにはかなり深くリヴァーブがかかっていて、オフマイクで聴こえてくる声はまた全然違う感じに聴こえる。そのブレンド具合によって、ゆったりと波打つような緩急をつけていくのだが、微妙な声のコントロールが見事。また、声を切ったり持続したりする組み合わせで次第に複雑な変化をつけていく。そういった音響っぽいアプローチばかりではなく、メロディをつけて裏声と地声を行き来しながら唄ったりも。名前から、なんとなく声明などをやっているかたなのかなと勝手に想像していたのだけれど、特にそういうことはなかった。一定のパターンの持続や反復により少しずつ高揚感を生み出していくテクニックは、宗教的、土俗的な儀式を想起させるようなところもないわけではない。でも透明感溢れるその声質からは、日本とかアジア的な要素よりはむしろヨーロッパ方面のトラッドに通じる雰囲気を感じた。

前半、後半それぞれ40分くらいずつ、切れ目のない即興演奏。後半では、山崎阿弥さんは小さな蝋燭に火を灯し、ご自身の手のひらに落とした蝋で蝋燭を立てて唄っていた。そっと息がかかるような位置に蝋燭を掲げたり、火が消えないように手で包み込むなどのなめらかな動きも相俟って、とても優雅な感じのするパフォーマンスだった。ヴォイス・パフォーマンスというと、観る人の度肝を抜くような奇声を発するようなものとか、音響的なアプローチに徹しているものとか、言葉に工夫を凝らされたものなどいろいろ観てきたけれど、山崎阿弥さんの場合いろいろなテクニックを駆使して唄になるかならないかの境目を漂いつつも、極めて自然体で演じているところが魅力的だと思った。

長沢哲さんは、ヴォイスをかき消さないようにそっと音を入れているところもあれば、複雑なリズム・パターンで先導していくようなところもあった。しかし、山崎阿弥さんがそんなに大きな声を出さず、極めて小さな音量のまま声を自在にコントロールしたり、ふっと途切れさせたりするような技を多用するので、長沢哲さんの演奏は全体的に遠慮がちな様子。とはいえ、長沢哲さんももともとそんなに爆音で演奏するタイプではなく、細かい手数を組み合わせて複雑なリズムパターンを生み出したり、シンバルの響きが持続するのをうまく利用しながら音のテクスチャをつくっていくようなところがあるので、2人ともどこか似たような方向性を持っているように感じられる。今日はまだ手探りな感じがしたけれど、何度かやっていくうちにおもしろくなっていきそうな組み合わせだと思った。

ライヴには、先日遊工房で個展を開いていた石原美和子さんも来ていた。実は前の日にちょっとした飲み会でお会いしたばかり。「山崎阿弥さん、前半では髪の毛長かったのに、後半では短くなっていなかった?」「そうそう、気のせいじゃないよね」。長沢暁さん、長沢暁さんと一緒に西尾彩さんに装本を習っているというかたも交えていろいろとお話し。山崎阿弥さんが今度参加するライヴのチラシを配りに来た。その中にSitaar Tah!というシタール奏者が20人いるというバンドのライヴ情報が。しかも対バンはAlaya Vijana(Ghost、ポチャカイテマルコの立岩潤三、倍音Sの岡山守治、ホーメイ歌手の山川冬樹などがメンバー)。これは行くしかない。

|

« すいへいせんのうきわ | Main | 割礼 »

Comments

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 坂道の空地:

« すいへいせんのうきわ | Main | 割礼 »