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カーコ・フェレンク

恵比寿ガーデンプレイスの中にある東京都写真美術館でチェコ映画祭2005開催中。愛・地球博関連企画ということもあり、上映作品は米国アカデミー賞受賞作品など一般大衆向けのものが多いが、ほとんどは日本初公開。さっそく、ヤーン・カダール、エルマル・クロス監督作品『大通りの商店』(1965年/白黒/128分)を観た。第二次世界大戦中、ナチスドイツによるユダヤ人への迫害が強まっていく中でのチェコスロヴァキアの人々の生活を描いた作品。主人公の農夫は、ナチス党員である親戚からの後ろ盾で年老いたユダヤ人のおばあさんが切り盛りしているボタン商店の監視人を任されることになる。しかし一方ではユダヤ人の有力者からその店主である未亡人を守るように頼まれてその報酬を受け取り、欲と罪の意識のあいだで揺れながら生活することを余儀なくされる。そしてナチスドイツによる圧制が強まっていき、不幸な状況が訪れてしまう。重たいテーマのストーリーだけれども、いかにも小市民的でいい人だが要領の悪い主人公といい、現在の政治状況をあまり理解していないボタン商店のおばあさんといい、ユーモラスな味わいがあって楽しく観られる映画だった。

それから目黒まで歩き、都営三田線で千石へ。三百人劇場でおこなわれているソビエト映画回顧展でフセヴォロド・プドフキンの『母』(1926年/サウンド版/白黒/90分)を観た。サイレント映画の合間で挟まれる文字のカットがすべて日本語に置き換えられているフィルムでの上映。この手の映画には欠かせない(?)群集シーンの迫力が凄い。しかし、革命プロパガンダ映画と簡単に言い切ってしまうのは忍びない、人間性に対する深い洞察のある重い作品である。

それから小石川図書館分室やうどん屋に寄り道しながら歩いて日本女子大まで。カーコ・フェレンクによる砂絵のライヴパフォーマンスを観に行った。ずっと不忍通り沿いに目白方向へ歩いてたぶん3キロくらいの道のりだったけれど、坂を降りて昇って降りて昇ってという具合で意外と時間がかかった。会場は桜楓2号館4階ホール。日本女子大学の敷地内に入るのは初めてである。

カーコ・フェレンクはハンガリーの砂絵アーティスト。ライトボックスの上で砂絵をつくってその場で変化させていき、それをプロジェクターで大きく映し出して見せる「サンドペインティング」というパフォーマンスをするとのこと。特に事前知識はなかったが、ハンガリー出身ということ(旧共産主義国マニアなもので)、非常に珍しいものが観られそうだという好奇心で観に行くことにした。今回はおもに愛・地球博がらみの来日のようだけれど、過去にはNTT西日本のCMやNHKみんなのうたにも使われたことがあるそうで、3度目の来日になるらしい。

会場の受付では絵葉書とポスターを売っている。木炭画イラストのような柔らかい風合い。ここでいう木炭画イラストというのは、ついこないだblogに書いた「三つの雲」の辻直之のことが念頭にあるのだけれど、ちょっとシュールで夢見心地な雰囲気は両者共通しているように思う。まともに比較するならば、カーコ・フェレンクのほうがずっと素直にロマンチックな感じだけれども。本当に全く事前知識がなかったもので、実は砂絵というのはてっきり様々な色のついた砂でカラフルに描くものを想像していた。絵葉書を見ると使用する砂は焦げ茶一色の様子。どんどんその場で絵を描いては変化させていくわけだから、確かに複数色の砂を使って描いていくのは無理がありそう(模様のようなものならともかく)。とりあえず絵葉書を1セット購入。

「サンドペインティング」のパフォーマンスは実にすばらしいものだった。砂絵を描くライトボックスはディスプレイで言えば20インチぐらい? もう少し大きいかもしれない。その上に砂をさーっと撒き、指や紙片などを使って人や鳥、その他の動物、波間に浮かぶ舟などの絵を次々と描いていく。例えば人の顔を描くときは、落とした砂を指でのけるようにして輪郭を描き、つまんだ少量の砂を器用に眉毛などの形になるように落としていったり。その他いろいろな技法を駆使して陰影豊かな絵をあっという間に仕上げてしまう。次々といろいろなモチーフを描き足して最初に描いた絵はわからなくなっていく。その様子が上方からのカメラで捕らえられ、スクリーンに映し出される映像は、まさに木炭画アニメと同じくらいマジカルとしかいいようがない映像だった。

共演はピアニストの稲本響。観たところかなり若い。最初1曲はピアノの独奏。クラシック系の演奏者のように見受けられたが、かなり元気のよいダイナミックな演奏だった。カーコ・フェレンクが登場したのは2曲目から。途中で稲本響は一度退場し、数曲は既成のCDの音楽を流してパフォーマンスをおこなった。その部分は今までにも繰り返しパフォーマンスをおこなっているレパートリーで、描いていく絵の展開が事前に決まっている様子。ピアノと共演した部分でも有名な曲が多くとりあげられていたが、サンドペインティング、ピアノとも全くの即興で演じたと思われる曲のときが一番良かった。即興でも迷いのようなものはなく、手が止まる場面はあっても数秒。いや、作業している最中は大画面に映写された映像に手の陰が写ってしまうので、少し絵を変化させては絵を見せるためにいったん手をどける、ということをリズミカルに繰り返している。それは即興のときもレパートリーのときも同じ。まさに熟練の作業である。でも、即興のときのほうがそのリズムにノリがあって、砂絵の変化していく様子もよりダイナミックだったような気がする。稲本響も、既成曲の演奏ではかなりおとなしく、自作曲や即興のほうが持ち味を存分に発揮していた様子だった。

だいぶ前のことになってしまって、細かい進行は忘れてしまったけれど、最後のほうではまたカーコ・フェレンクと稲本響との共演、また、稲本響とその弟のクラリネット奏者、稲本渡との2人による演奏などもあった。質問コーナーもあって、使用している砂は地元のドナウ川岸の砂であることなど話していた。いろいろ盛りだくさんのようだが、賞味1時間半ぐらい。最初にこのパフォーマンス&コンサートを主催した「オーロラ基金」の紹介ヴィデオなどもあったから、サンドペインティングは実質1時間なかったかもしれない。大学でおこなわれる公演にしては高かった(当日4,000円)ので、できればもう少し長く観たかったなと思う。

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Comments

each time i used to read smaller articles which also clear their motive, and that is also happening with this paragraph which I am reading now.

Posted by: cerrajeros denia | June 29, 2015 08:28 PM

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Ferenc Cakoさんのサンドペインティングの映像を、毎回見る度に感動する私。 NTT西日本のCMや、NHKのトリノオリンピックのオープニングやみんなのうたにも使われていますから、ご存知の方も多いでしょうね。 ドナウ川の砂を使用して、プロジェクターに映しながら、...... [Read More]

Tracked on February 26, 2006 07:08 PM

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