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Alaya Vijana

恵比寿の東京都写真美術館でおこなわれているチェコ映画祭2005で、イジー・メンツェル監督作品『厳重に監視された列車』(1966年/白黒/92分)を観た。性に悩む青年を主人公にしたコメディ・タッチの作品だが、ナチスドイツ占領時代の小さな村を舞台に当時の社会や人々の生活感をしっかりと見せる硬派な社会派映画でもある。

目黒まで歩いて都営三田線で千石へ。三百人劇場のソビエト映画回顧展で『7月6日』と『十月のレーニン』を観た。劇場入り口で本間さんにばったり。ちょっと疲れ気味の様子だったけれどそれはまぁお互いさま。

『7月6日』はユーリー・カラーシク監督による1968年の作品。1918年7月6日、共産党一党独裁の契機となった第5回ロシアソビエト大会の歴史的な1日を描いた実録映画である。海外との関係など穏健に政策を進めていこうとするレーニンと、革命の理念をあくまでも貫こうとする極左共産党員との緊張感あふれる対立が白黒のスタイリッシュな映像で描かれている。実録ものといっても基本的に共産党の息がかかった時代の映画であり、内容をそのまま鵜呑みにするわけにはいかないが、レーニンは追い詰められた状況の中でも余裕のある落ち着いた風情で、側近の部下や軍部からも厚い信望を得ている様子。

『十月のレーニン』はミハイル・ロンムによる1937年の映画だが、1917年の十月革命を指揮するレーニンを描いた作品。正体を隠して部下の家に泊まり、革命前の緊張感でピリピリした雰囲気の中、周囲の人に気を使わせないように陽気にふるまうなど、レーニンの人間像にぐっと焦点を当てた内容になっている。もちろんそれも共産党によるバイアスがかかったものだと言うことができるのだが。

前日にも三百人劇場で、1965年のセルゲイ・ユトケーヴィッチ監督作品『ポーランドのレーニン』を観ている。これは労働者階級解放争でシベリア流刑にあった後、亡命してヨーロッパの各地を転々としていたレーニンの若かりし頃を描いた作品。レーニン役の一人称による日々の出来事や考えたことなどのナレーションを中心とした進行で、第三者からの視点はほぼ存在しない、まさにレーニン万歳といった感じのプロパガンダ映画である。なにしろ連行されて入れられた独房で床の拭き掃除などをしたり、身の回りの世話で雇っている若い娘を連れて山歩きに出かけたり、指導者でありながら偉ぶったところが全くない、非常に気さくで人情豊かな様子が描かれている。ソ連崩壊後10年以上も経った今となっては、ありえないタイプの作品なのだけれど、それだけに映画の鑑賞体験としてはあまりにも貴重で新鮮。

これらはレーニン集中講座ということで特別上映された、なかなか観る機会のない作品。『7月6日』と『十月のレーニン』のあと、この日一番最後の枠はジガ・ヴェルトフの『レーニンの三つの歌』(1934年/白黒/60分)。本間さんはこれも観ていくそうだけれど、わたしはライヴに行くのでそこでお別れして、都バスで浅草へ。アサヒアートスクエア(アサヒスーパードライホール4F)にSitaar Tah!とAlaya Vijanaのライヴを観に行った。

予想してはいたことだけれど、バスは思いのほか時間がかかって、会場にたどり着いたときには開演予定時刻を30分近く過ぎてしまった。とりあえず中に入ると、段差のないだだっぴろい場内で、客はほとんど地べたに座っている。かなり広い空間だが、ほどよく埋まっていて前のほうに行けそうにないので、最初はとりあえず後ろのほうで立って観ていた。

先に出演したのがSitaar Tah!。これはヨシダダイキチ他約20名のシタール奏者によるグループ。先日長沢哲さんどのデュオで観たヴォイス・パフォーマーの山崎阿弥さんも出演。よく反響する会場で、音はもわもわーっとなっていて、あまり山崎阿弥さんのヴォイスがわからない。最初、歌っている人が複数人いるのかな、と思ったりもしたけれど、どんなに目をこらして見ても歌っているのは山崎阿弥さんだけの様子。シタールは、たぶんこの日のライヴでは19名。おそらくヨシダダイキチがワークショップなどで教えている人たちが集まっているのだと思うけれど、これだけいると数の威力という感じで、個々のプレイヤーの演奏を楽しむような状態ではない。ただ雰囲気に身をゆだねていればOKという感じのまったりとした演奏だったが、そう思ってぼーっと聴いていたら、だんだん演奏のテンポが速くなって盛り上がっていった。ヨシダダイキチがソロのような感じで目立つフレーズを弾いたりもしてどんどんテンションがあがっていったところで演奏終了。

楽屋に帰ろうとする山崎阿弥さんを捕まえて挨拶。開演はかなり押していたそうなので、そんなに大幅には遅刻しないで済んだみたい。「声、あまり良く聴こえなかった」とお話ししたら、山崎さん自身も音がまわってしまって自分の声がどんなふうに出ていたのか良くわからなかった様子。やや消化不良な感じだったかもしれない。

次のAlaya Vijanaとの間で、人の動きがあったので、さーっと前のほうに行き、演奏者のすぐ前の場所を確保。片付けを終えて出てきた山崎阿弥さんも場所を探していて、ちょうど隣があいていたので並んでほとんどかぶりつきの位置で観た。Alaya Vijanaのメンバーは、ヨシダダイキチ(シタール)、山川冬樹(ホーメイ/イギル)、瀬川U-K-O(タブラ)、立岩潤三(パーカッション)、藤乃屋舞(ベース)、永吉真弓(マリンバ)、岡山守治(口琴/ホーメイ/ギター)。ヨシダダイキチ、瀬川U-K-Oは国内でそれぞれの楽器の第一人者と言ってよい名の知られた演奏者だし、その他のメンバーも個人的に要注目の人が揃っていて、まさにスーパーグループと言ってよい布陣。これは期待が高まらないわけがない。

演奏内容は、文句のつけようがなかった。民族楽器主体のグループでリズムなどかなり複雑なアンサンブルだけれども、全体で向かってくるような演奏のテンションの高みがある。もちろん各々の演奏テクニックのすばらしさも魅力的。もとから大ファンである、山川冬樹の電気式人工喉頭を喉に当てて震わせながらのホーメイ(MCもその状態でやっていた)はサイバーな雰囲気さえ漂わせていて最高。立岩潤三は、良くライヴを観ているポチャカイテ・マルコやGhostでは案外ロックな力強いドラミングを聴かせるけれど、Alaya Vijanaでは主に民俗楽器のパーカッションを使用。でも曲の盛り上がりに応じてシンバルを鳴らすなど、随所で激しいノリで盛り上げる。藤乃屋舞ははじめて観た。透明な小ぶりのアクリルボディのベースを使用。ブイブイとダイナミックな運指で演奏する様子がカッコいい。この民俗楽器編成の中でエレクトリック・ベースを全然違和感なく弾いているのもすごいけれど、むしろ他のメンバーのノリが意外と直情的にわかりやすくロックっぽかった、ということが言えるかもしれない。とにかくメンバー全員がカッコ良くて、小難しいことをちまちまとやる民俗音楽ユニットという雰囲気は一切なく、ロックバンドっぽいテンションの高さがあるところが気に入った(小難しい音楽も好きだけれど)。

アンコールは岡山守治の口琴ソロ。多方面で活躍するメンバーの集まりだから、全員で演奏できるアンコールの曲は用意されていなかったのだろうけれど、口琴だけのソロでこれほどまで聴かせてしまう岡山守治は本当にすごい。今まで倍音Sやその他のユニットで何度も岡山守治の口琴を聴いてきたけれど、この日のライヴでは随分たくさんのお客さんの前でのソロ。周りから驚愕して集中して聴き入っている雰囲気が漂ってきて、非常に華々しいアンコールだった。

物販コーナーでは、出演者のCD以外にも口琴やシンギング・ボウルなどを売っていた。すごく大きなシンギング・ボウルがあって、買おうとは思っていないながらも鳴らしてみて満足感にひたる。口琴はすでに3つ持っているけど、インド口琴も1つくらい欲しいなと思って、ついつい購入。鳴らしながら歩きたい欲求を押さえつつ帰途についた。

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